この日は宇部市舟木に行きました^^)

向かった先は『大木森住吉宮』です^^)

お地蔵さんにお参り^^)↓

 

このお宮にお参りすると海難事故にあわないと言われていて船灯篭もあります^^)↓

 

橋を渡り鳥居が見えてお宮がありますけど、先年火事で立派な神殿が焼けて今の姿になっています。

昔は住吉さまのお祭りがとても にぎやかだった そうです^^)

大内氏が山口県下関に長門一の宮を移す前は、この大木森住吉宮が長門一の宮だったと言われています^^)↓

ここに由来が書いてありますけど、神功皇后が軍船48艘(そう)を造るために境内のクスノキの巨木を切ったと書かれています^^)

 

それだけではよく分からないので『八幡愚童記』のあらすじを書きたいと思います^^)

むつかしい表現で描かれていますから分かり易く解説します^^)

ちょっと長いですけどお付き合いください^^)

 

八幡愚童記

 この世の初めから日本人はみんな化生(仏・菩薩が人々を救うために人間の姿を借りてこの世にあらわれる事)だから寿命がとても長い。

 万民はみんな天神地神の子孫である。

 

 異国の来襲を数えれば、人王第9開化天皇から文永・弘安まで11回来襲があったが、提敵を追い返したり滅亡したりした。

 

 仲哀天皇の時は異国より『塵輪(じんりん)と言うものが来襲して日本に着き人民を取り殺した。

 

 仲哀天皇は、5万人の軍兵を連れて『長門の国豊浦郡(山口県下関長府)』に着かれた。

 

 合戦で塵輪を殺したが、仲哀天皇に流矢が当たって災難に遭われたが、2月6日に崩御(お亡くなり)された。

 

 神功皇后は嘆かれたが、天照大神が神功皇后に乗り移られ神々を導かれ、その中に老仙人のお姿の住吉大明神が来られた。

 

 特にないならお暇をもらうと申されて天上に上らんとされたが、神功皇后は「見捨てないで助けてほしい」とおっしゃられた。

 

 「ならばお船を造ろう」と申されて、化人(仏・菩薩が人々を救うために仮の姿になったもの)100人現れて「われらは船を造ることが出来る」と申され「我が党300人いる」と申し、200人来て前の100人と合わせて300人となった。

 

 「お船を何艘造りますか?」と申されて神功皇后が「48艘」とおっしゃたので、長門の船木山に入って材木を出し、豊前(九州の大分県)の国宇佐郡にて、48日間に48艘のお船を造った。

 

 神功皇后は阿弥陀如来の変化だから法蔵の昔の誓いを忘れず(阿弥陀如来様が成仏される前は、法蔵菩薩でいらっしゃった頃に、仏様に48の本願を誓われたから)48艘と定められた。

 

 それから、敵を倒すために竜宮に行って、乾珠(白珠)・満珠(青珠)を借りてこられて、珠の威力によって敵国降伏は疑いなしとおっしゃった。

 

 宝満大菩薩・河上大明神・諏訪・熱田・三嶋・宗像(むなかた)・厳島明神たち都合375人、志賀島より48艘のお船に乗られた。この375人は一艘ごとに身を変じ、同じ顔振れが一艘に375人乗られた(375×48=18000人)このうち、かじ取りは志賀嶋大明神、大将軍には住吉大明神、副将軍には高良大明神です。

 

 皇后のお船すでに対馬を出られ、敵国まで攻め寄せられたが、異賊は10万8000艘に49万6000余人だった。

 

 合戦が始まり、副将軍の高良におっしゃって乾珠を海に入れたら大海原が乾いて陸地に同じになった。異国の軍兵喜んで船を降りて攻めてきた。日本の船の下には水があり浮かんでいたので、異賊をはるかに見下した。ここで満珠を海に入れたら海水が押し寄せて敵軍は魚のようになって水難に見舞われた。

 

 このために神功皇后の乾珠満珠は三韓(新羅・百済・高麗)の敵を滅ぼした。 

 

というお話です^^)

 

まだまだ舟木編続きます^^)