志賀島の金印を福岡市博物館に見に行く機会が何度かあったんですけど、どうも疑問がありました^^)
金印には「漢委奴国王」と書かれており、今現在の読み方の代表的な解釈は「かんのわのなのこくおう」とあり、僕も学生時代のそう習った記憶があります^^)
中国の後漢書には建武中元二(57)年に時の光武帝が倭の奴国王に印綬(いんじゅ)をさずけたとあり、それが委が倭の間違いだとする説や略字説があるようです^^)
しかしながら漢字の国漢時代の中国が現在のような中国の簡略化された漢字ではなく、略字を使うのは違うだろうと思います^^;)
僕はこの金印に書かれている意味は「漢が奴国王に委(ゆだ)ねる。と書いてあると思っています^^)
なにを委ねたのか?それは「統治」だと思います^^)
奴国王が貢ぎ物もせず金印をもらうわけがないと思いますが、だからと言って奴国が漢の支配地であったのではないと思います^^)
理由は韓国や北朝鮮の人々が貢ぎ物をしても漢の領土ではないように、またモンゴルのクビライが中国に大元を建てたがモンゴルが中国領土はモンゴルの物だと主張しないように、奴国も漢の属国ではないが交易として漢に接していたのではないかと考えます^^)
それに倭は300近い国々が集まっていたと魏志倭人伝に書かれているので金印に倭の文字が無くても問題ないと考えます^^)
だから倭ではなく、委ねるが正しいと思います^^)