JR草江駅から山口宇部空港へ入ると、大きな空港の公園があるんですけど、そこに調整池があって、その中に「鍋島」があります^^)↓
空港の拡張で、鍋島を取り除いたんですけど、鍋島には神社があって、神様が祭ってあったので、その鍋島の岩や石などで、ここに「鍋島」が作られました^^)
もうひとつ鍋島が作られていますけど、ここより東側にある「西岐波」の港に造られて、西岐波の漁師さんたちに守られています^^)
ではなぜ「鍋島」かですけど、子供の頃にずっと不思議だったんですが、全国をうろうろ歩いていて、歴史好きだったから、「鍋島」に意味がやっと分かったと思います^^)
今までお話ししたように、「焼き物」が関係していて、それで「鍋」なんですけど、「鍋」を作っていたから「鍋」ではなく、「鍋」の材料に必要な材料としての「鍋」です^^)
その「鍋島」がもともとあった場所の海岸には「亀浦古墳」があります^^)↓
赤嵜神社がある山陽小野田市の「塚の川古墳」には到底及びませんけど、円墳の古墳があって、ここが重要な場所という事が分かります^^)↓
ではなぜ「亀浦」かですけど、もちろん僕が子供の頃は貝や魚が面白いほど捕れる豊かな海で、亀が産卵にやってくる場所で、天然記念物の「カブトガニ」がぞろぞろいて、今は叱られますけど、カブトガニで遊んだくらいなんですけど、鍋島がある亀浦は「甕浦」「瓶浦」だったと考えられます^^)
もちろん「瓶」も「甕」も作ってはいなんですけど、「甕」「瓶」の焼き物が関係していると考えます^^)
毛利敬親公の碑が、山口市の洞春寺にあるのを以前紹介しましたけど、普通は「防長」と呼びます^^)
でも敬親公の碑には「長防」と書かれていましたけど、これは「長く防がれましたね」(周防長門国王の長州を^^)と明治天皇がおっしゃたことに関係していると思われ、あえて「長防」と書かれていると思います^^)
ここは国境地帯なので、長門と周防の住民が隣同士で、水田の水の取り合いで喧嘩をしていたと言われていますけど、今は仲良くしています^^)
その亀浦古墳から「鍋島」があった場所(今は山口宇部空港^^)を望みます^^)↓
次回は「材料」に迫ります