埴のお話をしていますけど、赤間石の石でない部分が埴なんですけど、その部分はサラサラではない訳で、加工しないといけないです^^)
それでやって来たのが、埴生の東寄りにある「津布田八幡宮」です^^)
ねたろう号というバスの停留所があります^^)
船鉄バスと書かれていますけど、昔は宇部から現在の宇部市船木まで、鉄道が走っていて、その会社がバスやタクシーを今でも運行させているんですよ^^)
長野の親友と知り合う前の幼い時に、僕の親友の家の敷地に「船木鉄道」のレールが残っていたので、船木鉄道があった痕跡は確認しています^^)
我が家の母親も船木鉄道で高校に通ってたので、船木鉄道での思い出話をよくしてくれていました^^)
津布田八幡宮は、埴生から山陽野田市のサンパーク方面へ国道190号線を走るとありますけど、海辺の良いところです^^)
ここ津布田は津布田庄と言われていて、「保」だったら、新しく百姓が開墾した場所なんですけど、「庄」だから昔からある場所だし、藩政時代は津布田村と呼ばれていました^^)↓
津布田八幡宮の本殿です^^)
さて、津布田という漢字を読むと「津」とあって、海辺だし「津」であって、「布」は麻布だと思います^^)
だから麻布を作っていた可能性があります^^)
田はもちろん田んぼの事ですけど、それが全部イコールお米の田んぼという意味ではないと思います^^)
それでは「つぶた」の意味ですけど、「潰した」と考えられます^^)
何を?というと「赤間石の石でない部分」ですね^^)
それでサラサラな埴を作ったと考えられます^^)
もう一つは「粒田」です^^)
赤間石の石でない部分が粒になっているからその粒を潰したと考えられます^^)
ツブは壺と同じ意味なので、壺に入れたのかも知れません^^)
それらを麻袋に入れて出荷したと考えられます^^)
それなら津布田で「津」だから、ここから船で運んだの?という疑問があるかもしれませんが、それは次回です^^)
ここ津布田八幡宮はここからさらに、梶の交差点に向かった手前に「吉部田八幡宮」がありますけど、そこの宮司さんが管轄されているようです^^)↓
埴の話はまだまだ続きます