広島県の郡山城の旅をお伝えしている最中ですけど、再び厚狭と厚狭の寝太郎さんのお話に戻ります^^)
厚狭の厚く狭いは兵士の意味だと以前お伝えしてしましたけど、もう一つ意味があります^^)
それは厚狭の寝太郎さんの話で分かるように、厚狭川の氾濫や水の問題でお米があまり収穫できなかったことがわかりますけど、大内氏以前に栄えたのは、「麻」の生産があったからだと思っています^^)
なんだか語呂合わせ過ぎないか?という意見もあるかと思いますけど、昔は「一言でいえば」が地名として残っていますから、いろんな意味が内包されています^^)
使いまわしの写真ですけど、寝太郎さんです^^)↓
麻の用途としては、布、糸、縄、帆などがありますけど、古代から栽培されていたようです^^)
大麻とは区別されてたようですね^^)
だから生活必需品としての「麻」の生産があったと思われます^^)
その「麻」が「埴(ハニ:赤間石^^)」の輸送に使われてたと思います^^)
その「埴」については、また次回ですけど、なぜ長府があるのに厚狭が中心か?という理由も実はちゃんとあります^^)
それが「お日様もお月さまも出ていない朝」につながっていきます^^)
そっちは、またいつかです