御蔵屋敷は、兵糧などを蓄えてあったと考えられて、その屋敷が広かったんですけど、その奥に「釣井の壇」と呼ばれる広場あって、そこには「井戸(現在は枯れている:安芸高田市歴史民俗博物館資料^^)」があり、籠城に十分耐えられるお城であったと思われます^^)


その釣井の壇と御蔵屋敷と次に書く「勢溜の壇」が一体となっています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

ここ「勢溜の壇」は御蔵屋敷跡より何倍も広いです^^)


今は木々が立ち並んでいるから、その一部の木が切られて広場になっています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


↓に書かれていますけど、「前略 ここには本丸守護の兵が滞在していたことがうかがえる」と書いてあります^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

二の丸へ行きましたけど「土塁跡」です^^)


写真では分かりにくいですけど、こんもり盛り上がっているのがわかります^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


二の丸へ到着です^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


ベンチがうれしいです^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


かいつまんで書くと「本丸より2メートル低く本丸より一回り小さい」と書かれています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


現在地です^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


本丸に到着です^^)


広いでしょ^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


↓に櫓があったと書かれていますけど、本格的なお城だったと古地図見て思っています^^)


「前略 大永三年(1523年:寧波:ニンポー:明時代の中国浙江省寧波^^の乱で大内氏が細川氏に勝ち、勘合貿易を独占した年^^)に毛利元就が郡山城の宗家を相続し、郡山全山に城郭を拡大していった。元就はここを本拠城として、幾多の合戦を経て中国地方の統一を成し就げた」と書かれています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

広いでしょ^^)


読者の皆さんに伝わるかな~^^)


やっと本丸に登城出来ました^^)v
鐵斎の気ままな見聞旅


ここに「御本丸跡」と石碑がありますけど、この本丸のちょうど後ろに「姫の丸」があって、本丸を守る北の要所ですけど、「幕末に長州藩士 武田泰信がこの郭で百万一心石を発見した伝わる」百万一心石伝承地でもあります^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅



ルートの都合でまた二の丸へ降りて、次に三の丸へ行きました^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅


三の丸の石垣が残っています^^)↓
鐵斎の気ままな見聞旅

この三の丸の奥には「厩の壇」があります^^)


お城から降りますけど、登城とは別ルートで降ります^^)


まだまだ郡山城は続きますニコニコ