元就公の御墓所がある場所には「一回一力一心」の石碑があります^^)
この石碑は安芸吉田歴史民俗博物館の資料によれば「昭和6年、吉田郷土史調査会によって建てられました」^^)↓
「一回一力一心」の話の資料を頂いたのがあるんですけど、ちょっと長い話なので、かいつまんで書くと
「元就公が12歳で松寿丸と名乗っていた時に厳島の管弦祭に初詣に行かれました。その時に女の子が「かえしてよう かえしてよう」と泣いていたので、元就公が家来の平佐源七郎に調べさせると、隣の国の城の石垣を築いていた時だったので、その女の子と母親が巡礼の途中で「何日の何の刻(何時)にこの場所を通った女の人を人柱にと神のお告げがあったと母親と女の子は捕えられました。そこで元就公も幼い時に父母をなくされたので「あわれよのう」とおっしゃって、女の子を連れて帰って「いたわってとらせ」とおっしゃいました。それから、元就公が元服されて郡山城の城主になられて城を大きくするときに、石垣が何度築いても崩れるので、人柱という話になり、お祭りの時助けた巡礼の娘が人柱に選ばれましたけど、元就公は「それはならぬ」とおっしゃって、奉行に「百万一心」と書いた紙を渡して石碑に彫るように命じました。「この文字を彫って人柱の代わりに埋めよ、人の命は貴いものじゃ 人柱などもってのほかのこと、心を合わせ、力を合わせてことにあたれ」とおっしゃいました。それから郡山城は立派に建ち、元就公も中国一の大名になりました」
それが下記にある百万一心礎石の由来です^^)
さらに登城します