
私は支持する 派!
タイトルの前に^^)
それは応援している自民党の居る政権だから支持します^^)
それよりもなにも経済が上向ているいるし、現政権の政策がうまくいっている証拠ですね^^)
企業も好業績を上げているし、先は明るいです^^)
景気は波ですから、20年苦しんだから、これから大きな景気が来ると思います^^)
それには程よい消費と企業の賃上げと雇用の確保が大事です^^)
それが良い景気のサイクルを回しますね^^)
それでは写真です^^)
厚狭駅を出て、やってきたのが、ここ「曹洞宗 洞玄寺」です^^)
このお寺は「厚狭毛利家菩提寺」です^^)
そして、我が家の母親の両親、つまり僕の祖父母のお墓もあります^^)
↓
「歌人 今川了俊(貞世)は、室町幕府から九州探題として大宰府に派遣された道中の旅行記が有名な「道ゆきぶり」である。
建徳2年(1371年)10月8日、当寺に一泊して詠んだ歌は、厚狭の地名を詠み込んだ最古の歌と思われる。
それから^^)
連歌師 宋祇は、山口から大宰府への紀行文「筑紫道記」の文明12年(1480年)9月8日の項に、当寺の「利生塔」に触れている。
それから^^)
狂歌師 蜀山人(大田南献)は、長崎よりの帰途を書いた「小春紀行」には「下津洞玄寺道五町という石表あり」文化2年(1805年)と書かれている。この石柱は、旧山陽道、『浴』付近よりこの場所に移した」と書かれています^^)↓
↑は山門ですけど、「明和7年(1770年)、厚狭毛利家6代元連公により、菩提寺にふさわしい山門として建立された。その日、洞玄寺11世、雉賢霊雄和尚は、喜びを次のように詠んでいる。
『この解脱門を出入の者は、その功徳はかるべからず』
後略 」と書かれています^^)↓
「(禅)曹洞宗 洞玄寺 厚狭毛利家菩提寺」
「長州最古の中心地、厚狭の郡(こおり)に建つ山口県最古級の寺(635年創建)(第1回目の遣唐使を送ったのが630年だから、その頃の創建^^)。古くは、新善光寺、長光寺と呼ばれていた。この地は、長門国初代長官が治め、眠っている地である 後略 」と書かれています^^)↓
「この経塚は、厚狭毛利家第7代就盈(なりみつ)公の奥方であった芳菊院殿が厚狭毛利家第6代亡父元連(もとつら)公の7回忌にあたり追善供養(ついぜんくよう^^)のため安永9年(1780年)に宝塔形の石塔を建立したものである 後略 」と書かれています^^)↓
先ほどの連歌師 宋祇のお話の中で出てきた「長門国利生塔跡」です^^)↓
「足利尊氏発願、日本国66基の中の1塔。略 尊氏は、国ごとに安国寺と利生塔(五重塔か三重塔)を、各国守護と関係が深い菩提寺などに建てた(1345年ごろ、当時は長光寺) 後略」と書かれています^^)↓
ここには4世紀からの長光寺山古墳があるんですけど、5,6世紀ごろの石棺があるのも調査で分かったようです^^)
まだまだ厚狭毛利家菩提寺 洞玄寺は続きます^^)
明日もお仕事です