デートで行きたい場所、行きたくない場所 ブログネタ:デートで行きたい場所、行きたくない場所 参加中
タイトルの前に^^)


どこでも行きたいところでデートをして良いですけど、お化け屋敷とジェットコースターは行きたくないです^^;)


わざわざお金を払ってまで怖い思いをしたくないですから、これは勘弁ですね^^)


僕が行きたい場所は万人受けしませんけど、それでも良いならどんどん連れて歩きます^^)


まあいわゆるロマンチックなところはあまり行きませんけどね^^)



それでは写真です^^)


瑠璃光寺前に駐車場を後にして、宇部に帰る途中の国道9号線の右側に木戸神社があります^^)


変則的な道ですから、ちょっと分かりにくいんですけど、狭い道を少し進むとあります^^)↓
晴れ時々時事


木戸孝允は桂小五郎で有名ですけど、桂ではなく木戸が晩年ですから木戸です^^)


「前略 孝允は萩に生まれ幕末には京都や江戸で国事に活躍したのですが、常に藩論を指導し討幕の策を練り薩長連合を図って明治新政府樹立の大きな力となりました。のちに内閣顧問を初め多くの要職(第2代内務卿、第2代文部卿などで、贈従一位^^)について内外の政務に参与しました。 略 孝允は死の前にこの地にあった本宅山林などを地区住民に与えて子弟育英の資とするように言い残しました。人々は大変感謝し、社を建てて孝允の霊を祭りました」と書かれています^^)↓
晴れ時々時事


木戸孝允こと桂小五郎は「逃げの小五郎」と言われていましたけど、なぜ逃げてばかりいたのか?ですけど、桂は敬親公配下の目付としてその任に当たっていたと思っています^^)


剣術免許皆伝で近藤勇すら恐れたと言われている桂ですけど、「絶対に死んではならない」という命令があったと思います^^)


密偵や忍者などを統括して情報分析して敬親公に報告していたから、その後長州の代表として活躍したと思います^^)


伊藤博文は明治政府の重鎮となっても莫大なお金を運用のために毛利家に預けたということから考えても、毛利家当主の力が桂など長州藩出身の元勲と意志疎通が図られて国事を動かしたと考えています^^)


鳥居です^^)↓
晴れ時々時事


碑がありますけど・・・^^)↓
晴れ時々時事


ちょっと逆光で・・・^^;)↓
晴れ時々時事



「前略  木戸公は明治新政府の重臣となり、国家の安泰を願っていましたが、明治10年西南戦争が起こるや国の将来を大変心配し、とても糸米の村民(この木戸神社がある民の事^^)を心配する暇などありませんでした。しかし、木戸公は人や物をいつくしむ心が大変深く、ふるさとの人々の事を片時も忘れるはずはありませんでした。公は臨終に当たり後世の事を考え糸米の人たちのために学資を寄付したのです。これは郷里の人たちを心から愛したからでした。公は人や物を愛し慈しむことを国中の人たちに及ぼしました。だから日本中の人たちは皆公が人を愛し慈しむことを知ったのです。まして況や糸米村の人たちが公に親しくふれ、感謝するのは当然でした。 後略」と書かれています^^)


木戸公が晩年に前後不覚に陥ったという話がありますけど、そんなことは無かったという事が分かりますね^^)↓
晴れ時々時事


木戸公にお参りしました^^)↓
晴れ時々時事


これでこの日の旅は終わって、家路につきました^^)



明日もお仕事ですニコニコ