ブログネタ:兄弟で何番目?
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タイトルの前に^^)
長男ですから、一番です^^)
先日、我が家の娘が家に帰った時に、我が家の息子も帰っていて、我が家の息子が出かけるからと食事を先に済ませたんですけど、その時に少なかったので、我が家の息子に食べさせたんですけど、誰かが我が家の娘に刺身があると連絡したようで、我が家の娘が帰った時には「イセエビの刺身」がなかったんです^^)
そうしたら、怒るんですけど、まあ僕も反省をしましたが、長女なので、我が家の息子より沢山良いことがあったんですけど、小さい時の記憶は無いので、同じでないのを怒っています^^)
今はデジタル時代ですから、しっかり次の子が生まれるまでに美味しいものを食べている写真を撮って、こんなに良い思いを一人だけしたとみてもらうといいですね^^)
そういう意味では、僕も長男ですから、弟にいろいろしてあげないとと思っています^^)
今、トウモロコシを植えたので、またトウモロコシと玉ねぎを送りたいと思います^^)
安物でごめんね^^;)
それでは写真です^^)
露山堂から隣の山側に行くと、右手に「勅撰銅碑」があります^^)
「この碑は明治天皇が毛利敬親の偉業を永久に伝えるために、碑の建立を命じ、その命により建てられたものである。毛利敬親は長州藩13代の藩主で、明治維新の大業を成し遂げた英主である。明治2年正月に版籍を奉還した後に世子 元徳に譲って隠居し、明治4年3月28日に山口で没した。
篆額(てんがく^^)彰仁親王の書、文は川田剛が撰し、それを書いたのが野村素介である。素介は山口市大内出身で、維新の戦役にも参加した志士であるが、書家としても名高い 後略」と書かれています^^)↓
これがその「勅撰銅碑」ですけど、まあむつかしい字が並んでいます^^)
簡単ですけど訳して見ると・・・^^)
「参謀総長陸軍大将大勲位功2級 彰仁親王篆額
故 長防国王 贈従1位毛利公
大江子常敬親公 毛利元就公子孫の歴事
『武士が好きなようにやっていて、国の行く末を手で操っていた。内憂外患の中で誰かいないかという時に、時が来たとおっしゃって、天の兆しがあり、薩長同盟をされて、討幕された。
才能がある人、英傑の人を採用し、日本を救ったので、爵位された。」と書かれていると思います^^)
本当はもっとたくさんの事が書かれています^^)↓
明日もお仕事です