
私は裸眼 派!
タイトルの前に^^)
まだかなり小さな字以外はよく見えるので、裸眼です^^)
コンタクトレンズは先端恐怖症なので、目に入れるのが怖いです^^;)
目薬も差したくないくらいですから^^;)
眼鏡ですけど、最近若い人のブログを読むと、いわゆる「ドクタースランプあられちゃん」眼鏡をよく見かけます^^)
僕が20歳頃に流行って、それは「あられちゃん」の影響だったと思いますけど、今また時が巡って流行っているのが面白いです^^)
僕も若いころにかけてみましたけど、鼻が低いので似合わないことに気が付きました^^;)
「あられちゃん」も鼻は低そうですけど、女の子だから可愛いですが、男は似合わないと思います^^;)
それではもう一つのタイトルである「こんな高価なものを!」です^^)
我が家の息子が幼稚園の時に、僕が光栄の「信長の野望」をパソコンでやっていて、武田信玄の事を我が家の息子が「たけだしんでん」つおいん?(武田信玄強いの?)って言ったことを以前ブログ記事にしましたけど、それから、小学校に入って武田信玄と言えるようになったし、古いバージョンの「信長の野望」や「三国志」ゲームをしだしたし、コロコロコミックなど読みだしたので、小学校1年か2年の時から、横山光輝の「三国志」を読ませました^^)
この漫画は「ルビ」がふってあるので、小学生でも読めるし、むつかしい漢字も読めるようになるから読ませました^^)
だから、何度も読んでいる横山光輝の「三国志」の話はよく知っています^^)
それで、我が家の息子が小学4年生の時に、母の日だから我が家の奥さんにプレゼントを贈りたいというので、いろいろ話していました^^)
「横山三国志」には、劉備玄徳が大事な先祖代々の刀剣を売って、母の好きな高価なお茶を買い求めて、母にプレゼントをするんですけど、玄徳の母は玄徳が家宝の刀剣を持っていないので、問いただすと玄徳がお茶を買うために売ったと言います^^)
玄徳の母は形見の刀剣がどれほど大事が解らせるために、玄徳の優しさに感謝しながら泣いてお茶を川に捨てるんです^^)
それで、我が家の息子にお茶をプレゼントしようと言ったら、「そうしよう^^」と言うので、お茶屋さんで一番高い抹茶を買って帰って、我が家の奥さんに渡したら「高そうな抹茶を買って、私は抹茶は飲まないよ!」と僕が叱られました^^;)
そうしたら我が家の息子が「違う意味で叱られたね^^;」って笑ってました^^;)
それでは写真です^^)
道場門前を出て、調べ物があるから、大内館の龍福寺に来ました^^)↓
「大内義隆卿辞世 討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜんかん)」と書かれています^^)↓
大きな柱に文字が書いてあります^^)
断片的にしか解りませんけど、日本と国民が良くなりますようにと書いてあると思います^^)↓
大内義興公「馬上展望像」です^^)↓
ここに大内氏の資料館があるので、じっくり見てきたんですけど、その資料館のところに・・・^^)
「大内氏の始祖・琳聖太子は、聖徳太子に拝謁(はいえつ^^)した時、周防大内県を賜(たまわ)ったと伝えられる。 また歴代当主は大陸との交易に強い関心を抱き、対明(中国の明^^)、李朝貿易を計り、富と武力を誇(ほこ^^)るに至(いた^^)る。
24代大内弘世のとき(1363年)『1378年に3代将軍足利義満が室町の新邸花の御殿に移っているので、そんな時代^^)』足利幕府に組して周防・長門2国の守護職を得て守護所を大内御堀から(ここ^^)山口の龍福寺の場所に移し、京都風城下の原型が生まれた。後略」と書かれています^^)↓
その井戸は「ザビエル布教の井戸」です^^)
天文19年ザビエルは大内義隆卿に謁し、布教の許可を得て大殿大路の井戸の傍(そば^^)で初めてキリスト教の布教をしたと伝えられています。この井戸はそれを再現したものです」と書かれています^^)
フランシスコ・ザビエルも、ここ大内館に来られて、大内義隆卿と対面されたでしょうね^^)↓
山口市へ来られたら、ここ「大内館の龍福寺」に来られて、「ザビエル記念聖堂」へ行かれて、津和野の「乙女峠」などに行かれて、山口県福賀の「佐々木小次郎遺髪墓」、紫福(しぶき^^)の「長久寺」、「三位一体像」、「伴天連墓」、「切支丹墓」を行かれて、萩でゆっくりと美味しい海の幸山の幸を堪能されるのが、僕のお薦めです^^)
そして、また次の場所へ行きました^^)
明日もお仕事です