
私は報われる 派!
タイトルの前に^^)
努力は必ず報われると思います^^)
例えば歌手になり人が歌手を目指して努力して歌手になれなくても、歌手の勉強をした過程とか人間関係とか努力方法とか身に付くと思います^^)
先日ラジオで建築家の方が中華料理家の友達の話をしていましたけど、中華料理と建築の考え方は似ているとおっしゃっていました^^)
中華料理の基本は全食材を均等な大きさに切りそろえるらしく、建築もサイズが大事だとおっしゃっていましたね^^)
歌手の勉強などが、違う事で役に立つのを一般に水平展開と言いますけど、努力をしていなかったら水平展開もないですからね^^)
だから報われると思いますよ^^)
それではもう一つのタイトルである「言いつけられる?」です^^)
前回、少女漫画のお話をしましたけど、少女漫画でかっこいい男の子が、主人公のあまりもてない女の子の髪をくしゃくしゃにして「お前可愛いな」って言う場面があったんですけど、女の子は「カァー」って赤くなって、「なによあんな奴!」と言いながらドキドキしているんです^^)
もし僕がそんなかっこいい男の子真似を学生時代にしたとしたら、間違いなく女の子に「先生!鐵斎がいじめました!」って言いつけられると思います^^;)
今ならセクハラかもですね^^;)
そういう意味で、少女漫画を自分に当てはめながら読むと面白いんです^^)
それでは写真です^^)
元帥寺内正毅記念公園を出て、今度は湯田温泉まで出て、右折して、NHK山口放送局がある大きな公園に出ます^^)
その大きな公園手前を右折してまた今度は左折したら、「世外井上馨候遭難之地」に来ます^^)
湯田温泉から少し離れた場所ですけど、狭い裏道で刺客が狙うには格好の場所でもあります^^;)↓
世外と書かれていますけど、世外とは「世俗を脱した境遇」です^^)
「元治元年(1864年)幕府は京と蛤御門の変を理由に長州征伐の軍を進めたが、長州藩ではこれに対して、恭順(幕府の沙汰に素直に従う^^)の意を表すべきだとする保守派が、少壮有意(20歳から30歳までの年が若く意志のある人^^)の正義派をしりぞけ責任者を処罰した。9月25日藩主の前で聞かれた会議で井上馨(聞多)は恭順派と争い武備を整え幕府に対すべきだと主張したため、湯田の自宅への帰路、この地において反対派の壮士(血気にはやる男子:広辞苑^^)に重傷を負わされた。しかし、名医 所郁太郎(ところいくたろう^^)の手当により一命をとりとめた。その後明治政府に仕えた井上馨は外務、農商務大臣を経て明治25年に内務大臣となり、更に大蔵大臣となって(不平等な^^)条約改正、行政整理、日清戦争後の運営などに当たった。晩年は実業界に入った 後略」と書かれています^^)
防府の毛利邸建設で、毛利家から相談され尽力したのも井上馨候でしたね^^)↓
この後道場門前で銀行や買い物をして、次の場所へ向かいました^^)
明日もお仕事です