
私は鉄棒 派!
タイトルの前に^^)
跳び箱はかなり飛べて、マットはまあまあで、鉄棒は苦手でしたね^^)
お尻が重たいというか、手の力がないというか、やる気がないというかって感じでしたね^^)
でも鉄棒が出来るのが社会で役に立ったということは、あまりないので子供たちはあまり気にしないでよいと思います^^)
サーカスや芸能人のスポーツ番組出演などを目指す人は困りますけどね^^;)
それでは写真です^^)
防府の毛利邸を出て、川沿いを登って行きましたけど、途中で迷子になって、道行く人に聞きながらなんとか「東大寺別院周防阿彌陀寺」にたどり着きました^^;)
かなり山の中ですけど、立派な道があるので、阿彌陀寺がある場所へ車で来ることが出来ました^^;)
現在地が書いてありますけど、アップしてみてくださいね^^)
「東大寺別院周防阿彌陀寺」と書いてあります^^)
「周防国祖をもって奈良東大寺再建の命を受け、佐波川上流地方の巨材を伐採し、その使命を果たした当時の大徳造東大寺勧進兼周防国司職、俊乗房 重源上人が後白河法皇の現世安隠祈願のため建立したもので、文治3年(1196年)竣工 後略」と書かれています^^)↓
↓の写真を参考にお話ししますけど、最初に門がありますが、そこに「仁王門」があります^^)
「建久(建久3年に源頼朝が鎌倉幕府を開いたので、その頃だと思います^^)の頃の創建と伝えられているが、貞享2年(1685年)領主、毛利就信公によって原型に再建されたもの 後略」と書かれています^^)
その「仁王門」に「国指定重要文化財の木造金剛力士像」があります^^)
運慶(運慶快慶の一派いわゆる慶派の作と書いてあります^^)とかが木造を彫っているのを見たことがありますけど、まさにそのような金剛力士像です^^)
「金剛力士(仁王)像は、寺門の左右に立ち仏法の守護にあたる像で、邪悪なものが寺域に入らないように憤怒(ふんぬ)の表情を浮かべています。阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の金剛力士像は一体の像の分身とされ「阿」が字音の最初で、「吽(うん、だから「ん」)が字音の最後であることから、物事の陰陽(いんよう)や始まりと終わりをあらわしています。 中略 制作時期は鎌倉時代初期と考えられています。 略 応安2年(1369年)の修理銘があります。 後略」と書かれてます^^)
苔むした石の階段を登ると見えてきたのが「銅造六葉鐘」です^^)
建久8年(1197年)造立 後略」と書かれています^^)
それから「念仏堂」があります^^)
「創建当時は丈六の阿弥陀如来が安置され12人の念仏衆いて、日々念仏を唱えて心身浄化をはかる修行の場であった。中略(文明16年〈1484年〉に建物が焼失した) 堂内に安置の阿弥陀如来坐像(像高97㎝)は元禄5年(1692年)の作である。」と書かれています^^)
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と唱えて来ました^^)
念仏堂から引き返して、駐車場から見た防府の街です^^)
周防阿彌陀寺を後にして、次の場所へ行きました^^)
明日もお仕事です