ブログネタ:運動会で好きな(好きだった)競技
参加中
タイトルの前に^^)
大好きな競技は「騎馬戦」です^^)
これが一番好きでしたね^^)
でも悲しいかな体が中途半端に大きいので、上に乗れなかったんですよね^^;)
いつも左右のどちらかなんで、戦えなかったのが残念です^^)
我が家の娘が幼稚園の時に、やっぱり騎馬戦があって、お父さんが馬で、おんぶで我が家の娘をおぶって戦った事がありましたけど、これは最高に面白かったです^^)
一斉に動き出すんですけど、僕は機動力を駆使して、相手の後ろに回って我が家の娘に相手の帽子を取らせるんです^^)
我が家の娘が面白いように取ってくるので面白くてたまりませんでした^^)
戦い後半にみんなが疲れて、動かなくなった時に、我が家の娘に「父さんがそっと近づくからさっと取るように」と言って、後ろ向き近づいたら我が家の娘がさっと取ったりして、たくさん帽子を取りました^^)
結局僕たちの組は勝ちましたけど、孫が出来たらもう一度頑張ります^^)v
それでは写真です^^)
防府天満宮を出て、左へ向かい、狭い道を走ると、防府天満宮大宮司の武光家屋敷跡があります^^)
更に真っ直ぐ走ると、「史蹟周防国分寺」に着きます^^)
車を止めて、境内に入ると見えてきたのが「史蹟国分寺旧境内」の碑です^^)↓
「周防国分寺は、(略^^)北に多々良山を負い、南には防府市街とおして、三田尻湾を望む景勝地にそびえ立つ大伽藍(だいがらん^^)は、創建当初の地にあり、国分寺の堂塔の威容を現している。(略^^)天平13年(741年)聖武天皇の勅願(ちょくがん:天皇陛下の願い^^)によって、国家の鎮護と国民の景福を祈願するために国ごとに建立された由緒ある官寺(かんじ:国のお寺、つまり今の省庁や行政府のような役割^^)の一つである。本寺が創建された奈良時代は、我が国律令令政治の栄えた時で、国分寺は宗教によって国家を統治する勅願所で、皇室とも因縁が特別に深く、往来の規模が壮大であったことは、その寺域の面積が61町歩あまりにまたがり、七塔伽藍と25ケ寺の塔頭と末寺を擁(よう^^)していたことでもうかがえる。
後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革等によりその規模は縮小され (略^^) 本寺がこうして旧格を維持し、歴史の各時代にまたがる豊富な霊仏至宝を保存してきたことは、実に聖武天皇の聖徳と歴代天皇の信仰の賜(たまもの^^)であり、また周防国府の力や大内氏、毛利氏の歴代国主崇仏保護非常に厚かったからである。(後略^^)」と書いてあります^^)
「聖武天皇勅願所 高野山真言宗別格本山 國分寺」と書かれています^^)
桜と国分寺です^^)
(前略^^)「創建当初は七重塔でありましたが、落雷等の火災で失われ、鎌倉時代には五重塔に変わっていました。その五重塔も室町時代(1417年)の伽藍全焼の際に消失し現在に至っています。」(後略^^)と書いてあります^^)
楠の巨木です^^)↓
沢山の宝物がある国分寺を後にして、また別の場所に行きました^^)
明日もお仕事です