他人から言われたこと、結構気にする? ブログネタ:他人から言われたこと、結構気にする? 参加中
タイトルの前に^^)


子供の頃は気にしていましたね^^)


今は、「言われた」意味を考えるようになりました^^)


「言われた」にも色々ありますね^^)


親身になって「言われた」。怒気を含んで「言われた」。それとなく「言われた」。意味を含んで「言われた」。愛をこめて「言われた」。馬鹿にしたように「言われた」とかですね^^)


言霊という言葉がありますけど、それぞれ、思いなどが言葉に宿っていますね^^)


僕はアホで、今まで生きてきましたから、さっさと忘れますけど、自分なりに良い方に言葉を捉えるといいと思います^^)


言葉を咀嚼(そしゃく:噛み砕いて^^)して、自分のものにしたらいいと思います^^)



それでは写真です^^)


防府天満宮の大鳥居と向こうに見えるのが「まちの駅うめてらす」です^^)↓
晴れ時々時事


ここに大鳥居の由来が書かれていますけど、「この石大鳥居は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)10月、当時萩藩で活躍した薩摩の石大工、木賀兵衛尉らによる作だそうです^^)


詳しくは↓^^)
晴れ時々時事


さて、若い子たちに負けないように、僕も石段をひとつひとつ登って行きます^^)↓
晴れ時々時事


長い石段を登ると、左手に「大専坊」という建物が見えてきます^^)↓
晴れ時々時事


下の写真を参照して頂きたいのですけど、「大専坊 防府天満宮の表参道に面した両側には明治維新まで九つの社坊(西側に大専坊 西林坊 東林坊 密蔵坊 会所坊 東側に円楽坊 等覚坊 乗林坊 千蔵坊)が立ち並んで一山総号を酒垂山萬福寺と称した 大専坊はその一山の別当坊で天満宮創建当時の草創という」と書いてあります^^)


それから「この坊は弘冶3年(1557年)毛利元就が大内義長を山口に攻めてこれを長府で自刃せしめて防長両国を平定するまで元就の参謀本部となった」とあります^^)


この長府で自刃したのは高杉晋作が挙兵した場所で知られる「功山寺」です^^)


なぜ大内義長を討たなければらなかったのかは「毛利元就のすべて 河合正治編 新人物往来社」に書いてありますけど「天文12年(1551年)に大内重臣の陶晴賢による大内義隆嗜虐(しぎゃく)事件が発生して、大内領内は大混乱となったんですけど、陶晴賢は大内義長を表向き立てていました^^)

元就は安芸の国(広島県)をまとめて、島根県津和野の吉見氏も元就に人質を差し出して、陶を討とうとしたんです^^)そうした中で、強大な陶晴賢と戦わざるを得ない状況になって、厳島の戦いで陶晴賢2万の軍勢を元就4千弱の軍勢が破って陶晴賢自刃し、大内義長は下関市の且山(かつやま)城に籠ったんですけど、結局九州の大友氏の援軍がなく、大内義長が功山寺で自刃した事を言っています^^)


元就が征服欲でなく周りから頼られたのが重要だと本に書いてあります^^)


だから、陶晴賢を厳島で破って、長府の大内義長を攻めるときに元就がこ大専坊の参謀本部に居たのではないかと思います^^)


それから「また尊王攘夷で、激動した幕末にはこの地方を警護する諸隊の屯所となった」と書いてあります^^)


よく知られているのが奇兵隊ですけど、他にもたくさんの隊がありました^^)↓


晴れ時々時事

まだまだ防府天満宮は続きます^^)


明日もお仕事ですニコニコ