ブログネタ:去年の今ごろ、なにしてた?
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タイトルの前に^^)
去年の今頃は打ち首獄門になっていましたね^^)
我が家の息子が大学受験で、クリスマスまで遊んでいたという話をなうやコメントをしましたけど、改めて去年のクリスマスまでは、我が家の奥さんは半狂乱、僕はイライラしていました^^)
でも受験した大学は全て合格して、行きたい大学へと進んで、遊び人の金さんと思っていたら、お白砂で遠山の金さんが桜吹雪を見せて、僕たち夫婦を「やいやい!好き勝手なことを言いやがってこの遠山桜が全てお見通しだい、打ち首獄門を申し付ける!」「ひったてい!」とお白砂から連れて行かれました^^;)
でもホントに念願の息子の大学合格は嬉しかったです^^)
もうすぐ桜が咲く季節ですけど、綺麗な桜を見たいですね^^)
それではもうひとつのタイトルである「不便な電車旅行」です^^)
僕は時々一人旅にでますけど、遠くは電車か飛行機です^^)
飛行機は乗継があるようなコースを選びませんけど、電車は乗り継ぎがありますね^^)
今では、カードで乗り継ぎも簡単ですけど、僕のような電車通勤でもないたまにしか行かない人は、駅で取り合えず買います^^)
旅行の工程は、携帯電話のサイトで検索して、そのルートで行きますけど、僕の場合はJRから出発なので、例えば都内だと東京まで買うと都内はその切符で乗れます^^)
でもJRから私鉄に乗り換えるときは、そこでまた切符を買わないといけないですね^^)
携帯電話のサイトで指定されたルート上の乗換駅が行ったことが無いと前もって電話をして問い合わせするんですけど、「その時間では初めての人は乗れないですよ。切符を買う時間が無いですね」とおっしゃいます^^)
それで、例えば僕の場合で言うとJRの駅でルート上の私鉄の乗り継ぎと降りる駅まで切符が買えると便利です^^)
改札を探すだけでいいですからね^^)
まあ私鉄から乗って私鉄でも、私鉄から乗ってJRでもよいですから、日本民営鉄道協会に所属する鉄道会社さんは考えて頂くと嬉しいです^^)
お互い様ですから、鉄道会社同士もメリットがあるかもしれないですね^^)
この「不便な電車旅行」の記事は日本民営鉄道協会に所属する各鉄道会社に対しては、著作権フリーとします^^)
よろしくお願いします^^)
それでは写真です^^)
本陣伊藤邸址を出て、駐車場に向かうときに、赤間神宮に河豚の看板を見つけました^^)
縄文人も河豚を食べていたようで、グルメですよね^^)
豊臣秀吉が河豚禁令を出して、武家社会では河豚を食べられなかったのを、伊藤博文公が河豚が美味しかったので、その禁令をやめたようです^^)
この赤間神宮の隣が春帆楼という高級河豚料理のお店で、そこで日清講和があったので、調印が終わって、もしかしたら伊藤博文公と李鴻章さんが一緒に河豚を食べたかもですね^^)
それから赤間神宮を出て、唐戸市場の前の交差点を山側に行くと、商店街を抜けたらあまり大きくない赤い鳥居があります^^)
その鳥居の中のホテルの側を行くと、そこは末廣稲荷です^^)
「好色一代男」の井原西鶴や、「東海道膝栗毛」の十返舎一九や、幕末の攘夷運動に影響があった「日本外史」の頼山陽などの文人がお参りしたようです^^)
来年の受験生はここ、要チェックですよ^^)
ここ稲荷町は、今で言うと、綺麗な高級クラブの有名な女性が多く働いた場所です^^)
まあいわゆる当時の東京銀座ですね^^)
高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、井上馨のご夫人の出身地でもあるようです^^)
さて、階段を上ると・・・^^)
さっきブログに書いたことが書かれていますけど、最初に当社開基は人皇第51代平城天皇が鎮座していらっしゃいます^^)
平城天皇の先代は、桓武天皇です^^)
人皇とありますけど、司馬遷の史記の皇本紀に「一説には、天皇・地皇・人皇を三皇というのだとする」とあります^^)
また司馬遷の史記の皇本紀に「天地がはじめて成立した時に、天皇氏があって、王位についたのは十二人である」とあります^^)
参考までに^^)
由緒あるお稲荷さんにお参りしました^^)
まだまだ下関の旅は続きます