
私は別 派!
タイトルの前に^^)
結婚したときは奥さんが財布を握っていましたけど、不動産貸付業を副業としてはじめて別になりましたね^^)
経理の仕事がやっかいだから、僕に管理するようにということになったので、そうなりましたけど、会社の給料で、僕の生活費以外はちゃんと渡しています^^)
もちろん通帳も見たいときにはいつでも見せていますから、特に問題は無いと思います^^)
算数は苦手でしたけど、実際のお金の計算は面白いです^^)
使い方も研究しますから、最低ラインを切らないようにほどほど使っています^^)
カードの方がポイントが貯まるので、カードを使いますけど、無愛想な店員さんがカードを切ると急に愛想が良くなるのが面白いです^^)
カードにも優良な客とそうでない客の表示が出るのかな?^^)
それでは写真です^^)
山陽オートを出て、やって来たのが下関市吉田の東行庵です^^)
敬称略で書きますけど、鐵斎は、高杉晋作が勝手に暴れまわったと思っているのか?という質問があるかもしれないですけど、そもそも松下村塾は農民や商人の子供が習う塾だったので、それを士分の高杉晋作らが入塾したということは、長州藩から入塾させられたと考えるのが普通だと思います^^)
それは次世代を担うと選ばれた人ですね^^)
だから高杉晋作らはその事情を知っていたと思います^^)
今なら、いつもキャバクラで大騒ぎして飲んでいるような人が、実は死を覚悟してしっかり勉強して技を磨き時節を待っていたと思います^^)
長州藩が警護を兼ねて、晋作を見ていたので、毛利敬親公がすべて把握していた行動だから、功山寺で挙兵したときも長州藩の忍者が見て報告していただけと思います^^)
そうでなければ捕縛されていたと思いますよ^^)
長州藩はそんなにアホな藩ではないです^^)
なぜなら毛利家が山口県に押し込まれたときから、ずっと徳川幕府から改易の機会を探られていたからです^^)
それでは、ここ東行庵の名物「晋作もち」を紹介します^^)
普通の餡とシソ餡がありますけど、どちらも甘すぎず美味しいです^^)
まだまだ吉田を紹介します^^)
明日はお仕事です