ブログネタ:財布や携帯落としたことある?
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タイトルの前に^^)
おっちょこちょいなので、携帯電話はよく落としますから、耐衝撃性の製品を使っています^^)
だから画面が大きいスマホにはちょっと変えようとは思わないんですよね^^;)
財布も数々落としましたけど、子供が小さい時に山陽小野田市にある熊野神社に参拝に行って水を頂いて帰って、財布がないのに気がついたんですよね^^;)
しばらくしたら、近くの交番から電話があって、参拝に訪れていらっしゃった非番の警察官が届けてくださったんです^^)
僕が車の屋根に財布を置いたまま行ったので、どうやら駐車場で落ちたようです^^;)
熊野神社でその方が警察官だと知りませんでしたけど、もう忘れましたけれども親切に僕がしたようで、そのことを話されたとのことでした^^)
とにかく財布が戻って助かりました^^)
それでは写真です^^)
大阪駅で新快速に乗って京都に行きましたけど、僕の前の席には仲の良い夫婦が乗り込まれて、電車が滑り出してから仲良く眠られました^^)
車窓から風景が流れるのを見ながら京都までの時間を皆さんとお話したいと思います^^)
今は大阪維新の会だとか、石原さんが日本維新だとか言っていますけど、幕末のことについて話したいと思います^^)
黒船が来て日本中は大騒ぎになったんですけど、その中でいち早く日本が滅びると危惧してどうしたらいいかと思案して対案や行動に移したのが吉田松陰です^^)
我が家の息子が「読みなさい」と貸してくれた本で、津本陽の「松風の人 吉田松陰とその門下生」に詳しく載っています^^)
以前、僕がこのブログか、もう一つの「続・晴れ時々時事」かに書きましたけど、僕は吉田松陰があまり好きではないんです^^)
それを知っているから息子が本を貸してくれたんですけど、やはりこの本を読んでもあまり考えは変わりません^^)
理由を今から書きますけど、吉田松陰が先覚者で、すごい人だと言うのは昔から思っていたんですけど、吉田松陰は急ぎすぎたと思っているんです^^)
その一点があまり好きではないという理由です^^)
松陰の考えは時の藩主「毛利敬親公」はよく理解していて、もしかしたら松陰の理解者は上層部で敬親公だけだったかもですね^^)
だから陰に日向にと松陰を助けてきたんですね^^)
そうでなければ「松下村塾」などは存在しなかったと思います^^)
敬親公は「松陰の考えはよく分かっているけど、せいてはことを仕損じる。松陰を死なせてならぬ」と考えられていたと思われます^^)
それが僕と敬親公の共通点です^^)
例えば松陰は西洋式軍隊を提唱していますけど、それは後に多分敬親公から桂小五郎を仲介して大村益次郎が実現させました^^)
大村益次郎(村田蔵六)と桂小五郎との手紙が「内田 伸 編 大村益次郎文書」にありますけど、その中で造船や鉄砲について相談していることから、桂小五郎が大村益次郎なら実現できると思っていたと考えられます^^)
そう考えると、ある意味日本陸軍の創始者は松陰かも知れないですね^^)
萩に最近行きましたけど、松陰の人気はすごいですけど、毛利家が邪魔をした訳ではなくて蔭なら尽力したと理解して欲しいと思います^^)
さて、電車は隣の線路の鈍行を追い越して京都が近くなりましたから、鎌倉時代の京都の話をしたいと思います^^)
鎌倉時代の事は「日本の歴史 鎌倉幕府 石井進」に詳しく載っていますので一読願いたいと思います^^)
そのうえで書きますけど、法然上人(1133年から1212年)と親鸞聖人(1173から1262年)の時代は平安時代から鎌倉時代へと移り激動の時代でした^^)
戦乱、大火・大風・大日照り、大水・大地震と飢饉。略奪や強盗は当たり前で、さらに福原への遷都などで人々の惨状は究極でしたね^^;)
もちろん京都だけでなく西日本も大凶作にみまわれたりしていました^^;)
飢饉に関してですけど、食べられるものはなんでも食べて、仏様の教えを守れないで、馬や牛やねずみまで四足の動物を食べつくし、植物など食べられるものはすべて食べつくし、家族への愛情が深いほど先に死ぬという状態のようでした。
だからみんな仏様の教えを守れない悪人だと嘆いていた時代でしたね。
そんな時代を思いながら京都駅へと着きました^^)
なうでもつぶやきましたけど、京都もやっぱり寒かったんですけど、歩いているとお日様がさして暖かくなってきました^^)
京都では歩いて西本願寺にお参りして来ましたよ^^)
西本願寺の喫茶店でお茶を飲んで、また京都駅から東に向かう新幹線に乗り込みました^^)
参列掛けで、通路側にサラリーマンが乗られていたので、窓側に陣取り、車窓から風景を眺めました^^)
印象に残ったのは風車がかなりあって風力発電がかなり出来ているなと思いました^^)
それから、JR西日本の新幹線では新聞のニュースがテロップで流れることが多いのに対して、JR東日本では、会社の広告が多くを占めているのが面白かったです^^)
車窓から知っている会社を眺めたり、木曽川や大井川を見たりしましたけど、富士山はちょうど曇っていて見れなかったのが残念でした^^;)
さて、新幹線が新横浜に着きました^^)
まだまだ旅は続きます![]()
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