ブログネタ:反抗期、どんなんだった?
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タイトルの前に^^)
父親や母親が怖かったので、小さい時はあまり反抗しなかったですね^^)
幼稚園の時とか小学生の低学年までは、悪さやオネショすると灸をすえられていたので、灸タコが今でも残っていますよ^^)
今だったら虐待だのと大騒ぎしそうですけど、当時は当たり前だったんでしょうね^^)
だからと言って親を恨んではいないです^^)
どんな親でも親は親ですから^^)
高校生になって父親と母親が喧嘩をして頭にきたので、家出をしたことがあります^^)
友達の家に行くと捜査の手が回りますから、駅のベンチで寝て蚊にたくさん食べられました^^;)
朝早く目が覚めて、友達の家の近くを歩いていると友達の父親に捕まって結局家に帰りましたけど、母親が謝ったのが印象的でしたよ^^)
学校では相変わらず悪さをしていましたけど、それでも両親にはあまり反抗しなかったですね^^)
だから苦しい時は楽しいことをして笑っていると苦しみも薄れてくるので、逃避かもしれませんがそういう性格になったかもですね^^)
だから僕の子供には笑いを提供していますよ^^)
それでは写真です^^)
弟と別れて電車に乗って着いたのが、大阪駅です^^)
大阪駅から歩いてすぐが梅田駅と聞いてましたけど、ほとんど乗り場が違うだけで一体化しているように感じました^^)
高校3年の夏休みに大阪を旅行したことがありますけど、中学の同級生で秀才のばっちゃん(あだ名です^^)に会いに行ったんですけど、その時は確か梅田駅から乗った記憶があったんですけど、当時とは全然違ってびっくりしました^^;)
あれこれ聞いてやっと梅田駅の乗り場に来て地下鉄で淀屋橋に来ました^^)
ここでまたあれこれ聞いて日本生命のビルに出たんですけど、また方角が分からなくてまた聞いてコンビニでお昼にしました^^)
店員さんが中国の人だったけど、適塾ならこの後ろですよと教えて下さって早速行ってみました^^)
コンビニの横に銅座の跡がありましたよ^^)
ここが適塾かと思いましたけど、どうやら幼稚園のようでした^^)
そしてやっと適塾に着きました^^)
大村益次郎がここで寝る間も惜しんで勉強した場所ですけど、やっと来れました^^)
緒方洪庵の像です^^)
天井を見たところです^^)
モデルさんが撮影されていました^^)
大村益次郎は漢方医だけでは人は救えないと考えていたのかここで緒方洪庵に蘭学を学んだんですけど、世の中が黒船出現で、国が滅ぶと騒いでいたので、国を救わなければと蘭学などの知識を活かして蒸気船などの製造に携わったわけですけど、別に軍国主義者ではないので黒船が来なければ名医として多くの人々を救ったと思います^^)
適塾を後にしてまた淀屋橋から梅田駅に行って大阪駅から京都に向かいました^^)
まだまだ旅は続きます