
タイトルの前に^^)
親友に一番も二番もないんですけど、みんなキチンとしていますね^^)
血液型をあまり聞かないんですけど、多分全血液型と仲良しですね^^)
どの血液型もそれぞれ特徴があって良いですけど、基本的に僕が好きか嫌いかが問題です^^)
僕が嫌いならどの血液型のの人とも仲良くならないですからね^^)
それでは写真です^^)
2月に保険会社の飛行船が飛んでいました^^)
東に向かって宣伝をして飛んでいったようですけど、どこまで行ったかな?^^)
それではタイトルに戻ります^^)
報道によると、戦後の混乱が続く中、日本の復興を観光で手助けしたいと、1949年3月19日、新日本観光(現はとバス)が都内の名所を巡る定期観光バスの運行を始めた。最初は上野公園や浅草寺などを3時間半かけて回り、料金は大人が250円だったとあります^^)
1949年といえば連合国占領下で、1952年に終戦ですから、戦後の混乱期の真っ只中ですね^^)
そういう混乱した時期に観光をする人がたくさん居たって不思議な感じもします^^)
1949年の平均労働賃金を厚労省や経済産業省などで調べましたけど分かりませんでした^^;)
多分闇市なんかあって経済も混沌としていたでしょうね^^)
そんな時代、1949年の250円って安くはなかったと思います^^)
スピードと平和、安全に元の場所に戻るという意味を込めて車体にはハトのマークをつけ、翌年から「はとバス」の愛称を名乗った。当初1台に2~3人だった乗客は、娯楽が少なかったこともあり増加。多様なコースが登場し、東京五輪で沸いた65年6月期には年間の利用客が123万人に膨らんだとあります^^)
伝書鳩の意味があったのではと思いますけど、今のような電子メール時代ではないから、伝書鳩の意味が良くわかったのではないかと思います^^)
やっぱり最初は2~3人くらいのお客さんだったんですね^^)
食べることが精一杯の時代だから仕方がないですね^^)
65年は僕が生まれた翌年ですけど、さすがにその頃は大勢のお客さんが乗られていますね^^)
景気低迷やレジャーの多様化などを背景に90年代初めから客離れが進んだが、5年前から客足が戻り、2010年6月期の利用客は69万人と前の期より3万人増えた。コースやサービスの見直しが奏功し、退職した団塊世代の利用も広がったとあります^^)
最盛期の123万人には及びませんけど、69万人ってものすごいお客さんですよね^^)
コースやサービスもどんどん変わらないとお客さんはつまらないですよね^^)
最近の人気は東京スカイツリーに立ち寄るコース。中国語で案内するコースには中国人ビジネスマンも目立つというとあります^^)
中国の方もたくさん乗られているんですね^^)
そういう僕は一度も乗ったことがないので、また行く機会があったら乗りたいと思います^^)
Kさんと行く予定ですけど、Y野楽器に立ち寄るコースはないのかな














