
タイトルの前に^^)
落ち込んだ時には仲の良い仲間と話すことです^^)
落ち込んだ理由なんか話さなくても、わいわい言うだけで楽しくなりますね^^)
落ち込んだ理由を話す時でも「そうかそうか」って聞いてくれるだけでも元気になるものです^^)
そういう仲間を持ちたいですし、そういう仲間にもなりたいですね^^)
それでは写真です^^)
山口夏物語りも最終回ですけど、湯本温泉を紹介します^^)
川のが綺麗なところで鮎も釣れますよ^^)
近くには大寧寺があって、大内義隆が陶隆房の謀反に会い自刃した大寧寺の変があったところです^^)
ホテルがたくさん並んでいます^^)
まだまだ沢山ありますよ^^)
千と千尋の神隠しみたいでしょ^^)
市営の温泉です^^)
馬油のシャンプーなんかもあるし、冷たいウーロン茶も飲めて最高でした^^)
もちろん温泉も大好きな露天風呂で満喫しましたよ^^)
みなさんもおいでませ山口へ^^)
それではタイトルに戻ります^^)
報道によると、政府は過去の急激な円高局面では、市場介入によって局面を転換してきた。だが欧米がドルやユーロの下落を容認し、世界的な通過切り下げ競争を引き起こしている今回の円高では、様相がずいぶん異なっているとあります^^)
孤立無援の日本ですけど、どう切り抜けるかですよね^^)
円が最高値の1ドル=79円をつけた1995年4月。株価急落で日本経済が揺らぐ中、転機となったのが7月の「七夕介入」。日米が同時金融緩和とセットで協調介入を実施した。さらに8月には日米欧の協調介入で追い打ちをかけ円高修正の流れをつくり、9月には100円台に下落したとあります^^)
この時は急激な円高だったような気がしますけど、日米欧の思惑が一致した時の協調介入の効果はすごいですよね^^)
円高でかなり会社は焦っていましたけど、景気自体はそれほど悪くなかったように記憶します^^)
協調介入の背景にあったのは、米国の「強いドル政策」への転換。メキシコなどの債務危機が深刻になり、ドル安が金融不安を招いたためだ。円が最高値をつけた直後の7カ国(G7)蔵相・中央銀行総裁会議は「為替相場の秩序ある反転」で合意。国際協調の枠組みも整っていたとあります^^)
アメリカの金融危機もあって当時と似ているようですけど、今回はドル安の方がアメリカにとってメリットがあったんでしょうね^^)
もしかしたらその時の円は信用が不十分だったから円高では困ったのかもしれないですけどね^^)
協調介入は2000年9月のユーロ安阻止のため日米欧協調介入を最後に凍結。米国にとってはこれが最後の市場介入になり、欧州中央銀行(ECB)も同年11月を最後に介入を停止したとあります^^)
ここまで見ていくと分かりますけど、欧米の都合でしか協調介入はされないということですね^^)
欧米が介入を封印する中で、日本は03年から04年春にかけて円高の波に襲われ、深刻なデフレに見舞われた。政府・日銀は計35兆円を投じ、単独で円売り介入を繰り広げ、1ドル=100円超えを阻止した。当時はブッシュ米大統領と小泉純一郎首相の個人的親交もあり、米議会が日本批判を強めても、米政府は日本の介入を黙認し続けたとあります^^)
今回は菅さんとオバマさんが仲が良いとは聞いてないから、単独介入や協調介入を打診しているようですけど、良い返事はないようですね^^)
それにEUもいますから話はややこしいんじゃないでしょうか^^)
しかし、オバマ米大統領は1月に「5年間で輸出を倍増する」との計画を表明。輸出振興のためのドル安姿勢もにじむ。欧州でもユーロ安による輸出拡大への期待の声が広がる。協調介入の下地はないが、産業界からは「政府の覚悟を示すためにも単独介入をすべきだ」との声も出るとあります^^)
このままでは1ドル=50円になるっていう人もいますから、何とか阻止しないといけないですよね^^)
アメリカやEUから買ってあげたら単独介入も許してくれそうですけど、新興国から買うほうが忙しいようですから、それも期待できそうにもないですね^^)
アメリカの景気回復に6年以上かかるらしいから、それまでは円高を解消できそうにもないですね^^)
日本の首相とオバマさんが仲良くなることが円高阻止の近道かもしれないですね














