
タイトルの前に^^)
いつまでも忘れられない夢なんですけど、山陰地方がミサイル攻撃されてみんなが逃げてくるのですね。
それで僕は(独身の時でしたから)家族に「そっちに逃げてはダメだーーーっ!」って大声で叫ぶのです。
もう街はごった返しで、みんなが泣き叫んでいました。
僕は汗びっしょりで目を覚ましました・・・
平和な日本。いつまでも平和でいて欲しいです^^)
変な夢でしたね^^)
それではタイトルに戻ります^^)
報道によると、「僕は『異端児』と言われているが、実は永田町の方が国民の常識から外れた一匹狼じゃないのか。いつか分かる日が来る」とあります

永田町は確かに常識はずれですね。小泉改革が国民の常識だったかは疑問がありますけど

25日に次期衆院選への不出馬が明らかになった小泉純一郎・元首相は郵政民営化をはじめとする構造改革を掲げ、首相の座まで上り詰めたとあります

国民は構造改革の中身がよく分からなかったのに、勢いで小泉純一郎さんを首相にしましたね

小泉氏は1972年に政界入りして旧福田派(現在の町村派)に所属。その直後から郵政民営化の必要性を一貫して主張し続けた。90年代に入って加藤紘一・元幹事長、山崎拓・前副総裁と「YKK」を名乗って連携し、旧竹下派(現・津島派)の党内支配に抵抗した。
こうした姿勢が国民の人気を呼んだが、自民党内では「変人」と呼ばれ、95、98年の総裁選ではいずれも惨敗した。しかし、3度目の挑戦となった01年の総裁選では「自民党をぶっ壊す」と叫び、空前のブームを巻き起こして圧勝したとあります
こうした姿勢が国民の人気を呼んだが、自民党内では「変人」と呼ばれ、95、98年の総裁選ではいずれも惨敗した。しかし、3度目の挑戦となった01年の総裁選では「自民党をぶっ壊す」と叫び、空前のブームを巻き起こして圧勝したとあります

この時は国民が酔いしれていましたね。何かが変わると・・・確かに変わりました

首相就任後は、持論の郵政民営化のほか、日本道路公団などの特殊法人の民営化などの構造改革に取り組んだ。反対する党幹部や官僚を「抵抗勢力」と位置付け、自らの正当性を際だたせる手法で国民の支持を獲得。高い内閣支持率を維持し、政権を運営したとあります

僕は前にもブログで書いたと思いますが、郵政民営化や特殊法人の民営化は良かったと思っています。それはやらなければならなかった。また拉致被害者の帰国等良いこともあった。しかし、年金、医療や派遣などの働き方の改革は議論が不十分で改革後のケアが出来ていなかった事は問題があったと思いますね

タウンミーティングにサクラを呼んでやっていてはダメだったし、竹中平蔵は懐刀であったにもかかわらず、タウンミーティングの本当の意味が分かってなかったし、聞く耳もない人ですからね

本当のタウンミーティングは問題があればすぐ変える事が肝要で、そのためのトップダウンが必要なのです。そういうケアをしなかったから今の状況があります。会社と違って議会は小回りが利かないのがだめなところです。何年後見直すではなく、問題が発生したら即対応するが必要です

05年には郵政民営化関連法案が参議院で否決されたのを受け、衆院解散を断行。衆院選では、郵政民営化に賛成する対立候補を造反議員の選挙区に擁立する「刺客」戦術をとって圧勝し、その後の国会で法案を成立させたとあります

小泉劇場でしたね。連日TVが面白おかしく報道したのも問題がありました

与野党とも選挙前になると政党は美味しい話をちらつかせます。小泉政権を教訓に国民がきちんと判断出来るように勉強が必要ですね

せっかくのインターネット時代なのだから色んな人の意見が聞けますしね


