タイトルの前に、娘と「関ジャニエイト(∞?)」なるDVDを見ました^^)最近のステージ用エレベーターの高性能化には驚かされました^^;)(それだけか!おい!って聞こえてきそうですが^^;)
次に、山口県の共産党議連が、いわゆるガソリン税失効で中小企業が悲鳴を上げているから県知事になんとかしてって申し入れたようです^^)
民主党に言ったらって見ていました^^)
それではタイトルに戻ります^^)
先日、京都不思議空間の夕馬さんのブログで、京都に昔飢饉があった時、「土塀まで食べた」との記述がありました。
今日は何故京都に昔、飢饉が起きたかについてお話します
まず時代は室町時代です。室町時代の最初の頃は良かったのですが応仁の乱になり焼き討ち等にあった京都に食糧や燃料に供給が出来なくなりました。
京都に住む人々は近くの山に燃料のたきぎを取りに行きますが、段々それも少なくなり、とうとう大木まで切り出して京都の周りの山は禿げ山になりました。
その禿げ山に雨が降ったらもちろん土砂崩れなどか起き、田畑が壊滅的になります。ただでさえ戦乱の中で食糧がない時に駄目押しの事態が起こった訳です。
人々は「土塀まで食べた」事態になったのです。それを教訓に江戸時代に入ってから植林が盛んになりました。
木を切ったら植えるが大切ですね
でも植えっぱなしも駄目です。循環型社会になりませんね。現在は間伐材で発電が行われているようです。それもなかなか良いです
ついでにもう一つ、松茸です
江戸時代には松茸の生産量が高かったようです
理由は人が山に入っていたからです。山に入って下草を刈ったり落ち葉を燃料にしたりして山を掃除していたからです。
北朝鮮で松茸が取れるのも、山に入って同じことをしているからだと思います
間伐材だけでなく山の掃除もする仕事があると思います。
環境税をとるならそんな仕事にお金を回して欲しいと思います