学校の授業について述べたい。例えば、算数。足し算、引き算、かけ算、わり算。これが理解出来ないと全く前に進めない。

 

 多分子供はここでつまずいて、その後の人生を左右される。この基本中の基本は生徒全員ほぼ完璧を目指す為に全力投球しなければならない。

 

 その為には、基本中の基本には時間が必要なのだ。例えば足し算でつまずく子供がいたとする。それに対して教師は問題が解けるまで一定の時間まで分かりやすく丁寧に反復計算させ優しく教える。

 

 不安な子供も少しいたとして、足し算を子供が理解出来たと過程する。

次は引き算。引き算も同様にし、理解を得られたら、また足し算の授業時間を少し作る。この時間になると子供はちょっと小馬鹿にしながらも「楽勝だったね。」なんて話したりするだろう。

 

 それで良いのだ。その時のテストがみんな満足だったら、子供達はみんな大はしゃぎだろう。
次はかけ算、これも足し算、引き算と同様に行い反復計算させる。そしてかけ算が理解したら、また足し算、引き算の授業時間を少し作る。こうしてわり算まで行く。

 

 その為に時間は必要なのだ。ゆとりとは時間を削減する事ではない。子供に考えるゆとりを与える事だ。一年前に分からなかった事が、一年後に心と身体が成長し理解出来るようになる事は良くあると思う。

 九九は大人でもあれ?という時がある。基礎は、いかに反復練習するかが重要になると考える。統計的にどこでどの部分で生徒がつまずくのかデータ解析をしその部分に時間かける工夫も必要だ。時間を増やせと言ってもメリハリが必要だ。ただ算数を何時間増やすとか言う問題では無い。時間には制約がある。