震災翌日の新聞です。
3・11当日は、群馬県の高崎市に出かけていました。
ショッピングモールにいて、座っていたのですがなんとなく気持ち悪い揺れに気がついたのですが、大丈夫だろうと・・・
少ししたら・・・とてつもない揺れに変わり、モール内のいろいろな音がして、急いで外に出ました。
駐車場に出て、建物から離れるように言われ、そのときもまだ揺れている状態・・・いつまでも揺れた感覚が抜けませんでした。
急いで子供達に連絡をとり、無事を確認して帰ろうと思ったら・・・
電車が全て止まっていました。
高速道路も閉鎖されていました。
1時間もした頃には、道路もそこらじゅうで渋滞していて、帰れないとわかり急遽ホテルを予約しようと、いつも泊まっているホテルなどに連絡するも、全て満室状態でした。
高崎駅から離れた温泉街あたりにも連絡しましたが、地震の後始末などで対応ができないとか満室で泊まれそうなところがありませんでした。
それでも高崎から離れたところでやっと1部屋空いているというビジネスホテルに泊まることができたのですが、高崎市内は停電していて夕方から夜にかけて真っ暗状態に・・・
泊まったホテルは、高崎市の隣の藤岡市でしたが停電はしていませんでした。
おかげで明るい部屋でゆっくり過ごすことができましたが、余震やら長野地震やらの揺れで落ち着いて眠ることはできませんでしたが、それでも恵まれた状態にいたと思われます。
翌日お昼過ぎに電車が動き始めたので、新幹線はまだ動いていませんでした。
高崎線で・・・なんとなく座れなかったらと思い、グリーン車にしたのが正解!
とにかく、まともに動きませんでした・・・5時間くらいかかってやっと上野に到着したくらいですからね・・・
なんとか帰宅して、子供達と合流して・・・出かけていたことを、今でも後悔しています。
その後1年くらい地震酔いに悩まされて、湯船につかることもできなくなったり、吐き気が止まらなかったりと一時期酔い止めの薬を処方されていました。
被災地では、本当に酷い被害を受けていたし、福島の親戚のところでは避難させられて、その後の原発の情報など知らされることもなく、被災者の慰問に来た総理大臣に、どうしてこうなったと詰め寄った従姉の姿が忘れられません。
東京に住んでいますが、震度5強の地震で近所の道路などにひびが入ったり、うねった状態になったところもありましたが、建物や人に被害がなかったので、東北方面の被害に心が痛かったのと、未だに復興されていないという現状も辛い話ではありますね。
3.11の後も大きな地震が日本各地でおきていて、被害も甚大です。
また、被災された人たちへの補助などもかなり差があったりで、気の毒なことになっている人も多いと報道されていました。
地域によっては、この3月末で仮設住宅も使用できなくなるとか、本当に困っている人たちの声が届いているんだろうか。
まだまだ元の生活に戻れない人たちがいることを、国や自治体が把握して助けてくれるといいのですが・・・
ここ数年は、地震や自然災害で大きな被害がでています。
これからは、少しでも落ち着いた良い年でありますように。