昨日、ふとしたことから長年連絡を絶っていた友人が、5年前に亡くなっていることがわかりました。
きっかけは、その友人の娘さんが結婚したというところから、わかったのですが・・・
その友人とは、子供が同じ保育園に行っていたことから、仲良くなり他のお母さんたちともグループを作って、イベントごとに集まり子供達を含めて家族ぐるみの付き合いをしておりました。
途中大阪に転勤になったときには、毎年遊びに行かせていただいたりと、かなり親密な付き合いだったのですが、わたしがメンタルを病んだときに、相手から「こんなの本当のあなたじゃない」と、相手にしたら変わってしまったわたしが受け入れられなかったようで、毎日のように酔っ払っては遅い時間に電話をかけてきては、同じことを言われていて、自分だって好きでこんな状態にいるわけじゃないし、どうにもならない気持ちで過ごしているときで、相手の言葉が突き刺さり縁を切ったのですが・・・
数年前にもうダメだと思って、電話も拒否している状態で音信不通状態にしておりました。
相手の人は、毎日500mlのビールを最低6本以上飲んでおり、アル中状態であったのですが、自分のことは棚にあげてのわたしを毎日批判することで、うつ病を悪化させてくれていました。
大阪に遊びに行っても、お酒のせいで翌日出かける予定をしていても、出かけられなかったり、相手3人家族でこっちは1人で食事や飲み会に行っても、普通に割り勘ねってシビアなところもあり、それも3対1の計算でも文句も言わず、付き合ってきたけど・・・
その後、電話をかけてきて「わざわざ大阪まで来てもらったのに、接待するどころか割り勘にしてごめんね、次はわたしが支払いするからね」と、毎回言っていた彼女・・・
でも、一度もごちそうしてもらったことはなかった’`,、’`,、ヾ(o´∀`o)ノ ’`,、’`,、
彼女が酔っ払って、旦那さんを刺したときも、娘さんから泣きながら「おばちゃん、すぐ来て」と言われて大阪まで駆けつけたときもあったのに、お酒のせいで感謝の気持ちもなく、当たり前のように接してきたときも、彼女が旦那さんに内緒でお酒がやめられないからと、子供を中絶したときも受け入れていたのに、わたしが病気になったら、その病気を理解することなく、自分の思いをぶつけてきた彼女が、亡くなっていたというのは、正直なところショックを受けました。
お酒が原因だったんだろうなと思われます。
当時の彼女は、自分が異常行動に走っていることすら理解できない状態でした。
トイレに入ったら、30分くらい出てきませんでした。
何をしていたかというと、用を足した後にお掃除をするんです。
それも毎回です。
そして、出てきたら10分くらい手を洗うんです。
お布団干したら、これでもかと取り込むときにお布団を叩いていました。
住んでいるところのマンションの下を通る人が、見上げていくくらいずっと叩いていました。
お布団は、叩かないで掃除機かけたほうがいいんだよって教えても、ストレスでも発散しているのか、ひたすら叩き続けていました。
お酒の飲みすぎで、翌日の朝からずっとお酒臭い状態が続いていました。
旦那さんが怒るので、とりあえず朝は起きてご飯の用意と、娘さんのお弁当を作って、そのまま「いってらっしゃい」もせずに、また寝てしまう彼女・・・
彼女が悪いわけではなかったのですが、アル中の母親からの、胎児からのアルコール漬けだったのが原因で・・・
彼女の父親も母親もアル中だったんです。
でも、大人になってからは・・・やっぱり自己責任だよなぁ・・・
知り合った頃は、30年位前で当時はまだ普通だったんだよなぁ・・・
悪いことばかりが思い出されてしまうけど、それでも楽しい時期は長かったんだけどね・・・
子育てで疲れたり、悩んだりしていたときに、みんなで集まってストレス発散したり、お出かけしたり・・・
良いことがいっぱいあったはずなのに・・・思い出されるのは、嫌な記憶ばかり・・・
珍しいからと買っていったお土産も、口に合わないからとわざわざ送り返してきたり・・・
そのときには、思わず笑ってしまった・・・
普通なら、社交辞令でまずかったとしても、「おいしかったよ、ありがとう」って返ってくるものだと思っていた自分がいて、まさか・・・送り返してくるとは、彼女らしいなぁと・・・
小学生の頃の運動会では、毎年あれ作ってきて~とか、気に入った料理があるとリクエストしてきた彼女・・・
お酒のせいで料理もまともに作れていなかった彼女に、我が家のどうでもいい家庭料理が、娘さんと旦那さんのお気に入りになり、何度か作りに行ったりもしてた・・・
そこまでの付き合いだったのに、わたしの病気のせいで付き合いをやめてしまった。
今年の6月18日の大阪の地震のときに、初めて連絡をしてみたけど、もう電話番号が使われていなくて、安否もわかりませんでしたが、その後旦那さんの定年もあったのか、東京に引越しいていることはわかっていたけど、その時に彼女が亡くなっているまではわかりませんでした。
知り合ってから30年くらい・・・そのうちの後半8年くらいは全く付き合いはありませんでしたが、それでも多少は気になっていました。
ほとんどが、わたしが病気になってから言われた言葉が、夢の中にでてきたり、日常生活をおくっているなかで、ふとしたときに思い出すという嫌な記憶ではありましたが、それでも元気にしてるかなとか、お酒やめたかなとか・・・気にはなっていたんです。
お酒がなければ、明るくて楽しい彼女でした。
カラオケ行って、杏里の歌を歌えば、杏里の声に近い歌声で感心させられたりもしました。
1つ上の彼女がいつも、「わたしのほうが1つ上なのに、あなたのほうがお姉さんみたいね~」と、言っていた彼女・・・
わたしが縁を切ってからどう過ごしていたんだろうか
電話を拒否しても、毎日のように着信が数ヶ月続いていた・・・
何人もの当時からの付き合いがあったお母さんたちから、お酒飲まなければ良い人なのにね~と、縁を切られていた彼女。
自業自得ではありますが、大阪に引っ越しても友達も作らず寂しかっただろうと思われますが、今となっては・・・
自分がもっと広い心をもって付き合えていれば良かったんだろうけど、あの当時は本当に辛かった・・・自分自身を見失っていたから・・・
自分のことで精一杯だった・・・
言い訳だな
自分の病気に負けずに彼女と向き合えていたらよかったのにな
あまりにも早く召されてしまった彼女・・・
2人でひ孫まで見るんだ~と、笑いながら話していたことを思い出した。
でも、やっとお酒がやめられたね・・・
安らかにお眠りくださいとか、おくる言葉は言いません。
連絡を絶ってしまった自分が、酷い人間に思えてしまいました。
どんなことがあっても、彼女を見放してはいけなかった。
ごめんなさい。