鎌倉高徳院の「観月堂」が100年ぶりに返ってきたニダ! | 情報は自分で習得し、自分で判断する

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鎌倉大仏殿高徳院の「観月堂」 100年ぶりに韓国に

 
 【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に神奈川県の鎌倉大仏殿高徳院に移された韓国の建造物「観月堂」が戻ってきた。2010年に返還に向けた論議が立ち消えたが、数年間の努力の末に返還が実現し、注目される。
 
解体される前の観月堂(国家遺産庁提供)=(聯合ニュース)
 

 韓国の国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は24日、高徳院と約定を締結し、正式に観月堂の部材の譲渡を受けたと発表した。日本による植民地時代だった1920年代に日本に移されてから約100年ぶりの「帰還」だ。

 高徳院側は昨年、保存・復元のために観月堂を解体し、国家遺産庁と協議して瓦、石材、木材などの部材を順次、韓国に移送したという。同庁の崔応天(チェ・ウンチョン)庁長は「長い期間にわたる協議と韓日両国の協力を通じて実現した意義深い成果だ。所蔵者の誠意ある寄贈と両国の専門家の努力があったために可能だった」と説明した。

 海外から韓国の建造物全体が戻ってきたのは初めて。

 

 観月堂は朝鮮王室と関連があったと推定される。高徳院では鎌倉大仏の裏に位置していた。

 観月堂は1920年代に日本人の手に渡り、悲運の道をたどったとされる。高徳院はホームページで「1924年当時これを所持されていた『山一合資会社』(後の山一証券)の社長、杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈された」と説明してきた。

 学界などでは朝鮮王室が観月堂を融資の担保として提供し、その後、朝鮮殖産銀行が財政難で融資を受けた際に杉野氏に贈与したという説が広く知られている。ソウル中心部にある朝鮮王朝時代の王宮、景福宮にあったという見方もあるが、用途など具体的な内容は明らかになっていない。

 

 観月堂の返還については2010年に話が進められたことがあった。当時、大韓仏教曹渓宗総務院は日韓仏教交流協議会側と観月堂を韓国に戻すことで合意したと発表したが、その後、協議が中断された。

 国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は2019年から高徳院側と観月堂の保存に向けた意見交換を続け、全ての部材の譲渡を受けるに至った。

 高徳院の住職、佐藤孝雄氏は観月堂を解体し部材を移送する費用を自費で負担し協力した。佐藤氏は、100年にわたり高徳院にあった歴史的意味と価値を記憶しながら韓国内の適切な場所で本来の価値を回復することを願った。

 高徳院側は両国間の文化遺産の持続的な研究に向け別途の基金を設け、同財団に寄付する意向も示した。

 崔庁長は「文化遺産を通じて相互尊重と共感の価値を実現した模範的な事例」だとし、「韓日両国の文化的連帯と未来志向的な協力の象徴となることを願う」と述べた。

 

観月堂の部材を韓国に譲渡する寄贈協約式が23日にソウル・国立古宮博物館で開かれ、高徳院の佐藤孝雄住職(左)、国家遺産庁の崔応天庁長(中央)、国外所在文化遺産財団の金廷禧(キム・ジョンヒ)理事長が出席した(同庁提供)=(聯合ニュース)

 

観月堂の部材が保管されている伝統建築修理技術振興財団(国家遺産庁提供)=(聯合ニュース)

 

 

>日本による植民地時代に神奈川県の鎌倉大仏殿高徳院に移された韓国の建造物「観月堂」が戻ってきた。

 

 鎌倉の大仏様で有名な高徳院にあった「観月堂」が韓国に移管されたみたいです。

 

 オイラも数年前に大仏殿を訪れた際、見学しましたが、だいぶ古びていた記憶があります。

 

観月堂解体修理と観音像拝観休止について

聖号十念
 鎌倉観音霊場第23番札所に指定されております当院では、江戸中期の作となる観音立像を年来「観月堂」と称する朝鮮王朝由来の堂宇にお祀りして参りました。

 しかしながら、貴重な歴史建造物でありますその堂宇は、移築から100年を経る中、著しく劣化が進行し、損壊が危惧される状態となりました。

 そこで、当院では2027年の再建を目指し、堂宇の解体修理に着手いたしました。これに伴い、堂内にお祀りしておりました観音像につきましても、堂宇の再建まで拝観を休止させていただいております。
 ご理解・ご了承のほどお願い申し上げます。
合掌

掲載日:2024.10.22

 

 

 

 高徳院のHPによると、劣化が激しく損壊のおそれがあるため解体したようです。

 

>高徳院の住職、佐藤孝雄氏は観月堂を解体し部材を移送する費用を自費で負担し協力した。佐藤氏は、100年にわたり高徳院にあった歴史的意味と価値を記憶しながら韓国内の適切な場所で本来の価値を回復することを願った。

 

 なるほど。

 

 解体にあたって、住職の意向で韓国に寄贈されたようだね。

 

 ちなみに、この「観月堂」、

 

>学界などでは朝鮮王室が観月堂を融資の担保として提供し、その後、朝鮮殖産銀行が財政難で融資を受けた際に杉野氏に贈与したという説が広く知られている。

 

 李氏朝鮮が借金の担保として朝鮮の銀行に渡し、その銀行も財政難で「元山一証券」の手に渡り、日本へ移管され、その後高徳院に寄贈されたみたいだね。

 

>佐藤氏は、100年にわたり高徳院にあった歴史的意味と価値を記憶しながら韓国内の適切な場所で本来の価値を回復することを願った。

 

 さて、一つ気になる点がありますね。

 

 佐藤住職に願いである『本来の価値の回復』、大丈夫か??

 

 そもそも韓国の技術で果たして再建できるとは思えないよなぁ~w
 

 放火で焼失した崇礼門(南大門)の再建も偽の伝統技法とやらで復元して損害賠償請求してたし・・・

 

 詳しくはコチラ↓

 

 

 

 無事に再建したとしても、アホな韓国人が放火しかねないよなぁ~。。。