韓国の気象領土を広げよう
測雨器は世宗(セジョン)大王時代の1441年に発明された。1592年のガリレオの温度計と1643年のトリチェリの水銀気圧計発明よりはるかに早い世界初の気象観測装備だ。最近韓国の気象分野はそのDNAを活用してもう一度輝かしい発展を繰り返し、世界7位圏の気象大国に発展した。
20年余り前に単純な天気図と予報官の経験にだけ依存した古い予報方式から脱却し、初めて数値予報を始めた。全世界からリアルタイムで収集される気象資料を入力しスーパーコンピュータに装備された予測モデルで気象予報を生産する。ここに予報官の冷徹な判断力とこれまでのノウハウまで加え正確度の高い気象予報を提供する。このために2600億ウォン(約177億円)の海外の気象装備を輸入し気象インフラを構築した。このように気象資料と予測モデル、予報官の能力という3拍子をあまねく備えながら気象分野は新たな跳躍が可能になった。
最近韓国気象庁は本来の業務である気象予報だけでなく、開発途上国から気象技術移転と教育研修要請を受けている。この10年余りの間56カ国以上の海外気象予報官に韓国の気象予報、衛星技術、情報通信技術などを教育・訓練した。開発途上国の気象庁の要請で気象諮問官を派遣し開発途上国の気象業務近代化も支援している。東南アジアとアフリカでは韓国が短期間に気象大国に発展した秘訣に非常な関心を見せており、「気象韓流」が吹いている。
しかし輝かしい発展にもかかわらず、韓国の気象産業基盤はまだ弱い。世界の気象装備市場は日ごとに規模が大きくなっている。米国は9兆ウォン、日本は5兆ウォン規模だ。だが、韓国の気象産業市場は2010年基準で644億ウォン水準にとどまっている。そのうち70%を気象庁の装備購入が占めている。このため気象装備納品業者同士の受注競争が過熱されるほかはない。
気象産業界は韓国の適正気象気候市長規模を2兆ウォン程度と推定する。この程度になればこそ気象災害予防と気象気候情報を十分に活用でき、開発途上国の気象協力にも効果的に対応できるということだ。もちろん気象装備産業を1日で成長させることは難しい。特に気象装備は軍需用装備と重複するケースが多く、長期間の技術開発投資なくして競争力を確保するのは容易でない。幸い過去1年間に韓国型数値予報モデル開発、小型気象レーダー国産化、国産自動気象観測装備輸出などの努力で気象産業市場は1069億ウォンに増えた。今年の目標は3000億ウォン程度に設定した。それでもまだ初歩水準だ。それでは気象産業を育成するにはどうすべきか。
気象産業も新たな輸出産業になることができる。世界のさまざまな国に気象装備だけでなく天気予報や気候資料まで輸出することができる。特にロシア沿海州やモンゴル、東南アジアなどは気象産業を輸出できる最適地だ。韓国と地理的に隣接している上に相対的に優れた韓国の気象技術を連係すれば他の気象先進国との競争で優位を発揮することができる。さらに最近アジア開発銀行(ADB)と世界銀行も開発途上国の気象先進化のため相互協力と共同支援を要請している。なので新しい市場が形成されるだろう。これを機会として活用することができる。
これまで外国製の気象装備に依存してきたとすれば、いまは独自の気象装備と気象技術、気象商品、気象専門家を前面に出しグローバル市場に進出していかなければならない時だ。世界経済統合とボーダーレス時代に韓国は世界9位の貿易大国としての位置づけを確かにした。このような位置づけを活用して気象分野のグローバル化を推進し、気象領土を拡大することにも力量と資源を集中しなければならない。
李重雨(イ・ジュンウ)・仁済(インジェ)大学副総長兼経営学部教授
測雨器発明に関する記録は1441年(世宗23年)8月18日の「世宗実録」に載せられており、これは深さ2尺、直径8寸の円筒状の雨量計を発明することで、雨が降る自然現象を機器を使って数量で測定する科学的方法が世界で初めて始まる、まさに気象学の新しい章を開く歴史的な事件だった。
測雨器は鋳鉄または青銅で作った円筒状の測雨器本体と、これを安置するために石で作った測雨台、そして降った雨水の深みをはかるための尺の3部分から成り立っている。「世宗実録」の1442年(世宗24年)5月8日付け記録にはこの雨量計を「測雨器」と呼んだ。測雨器は高さが1尺5寸(32㎝)、直径が7寸(15㎝)に改良され、次のように測定方法も明確に規定している。
△測定方法
この制度はほとんど完璧で、今の単位で見ても約2㎜単位まで測定される。この時から測雨器による降雨量の測定は各道と郡・県に至るまで全国的に施行され、集計された降雨量を中央に定期的に報告することで、全国の降雨量を科学的な方法で正確に記録・保存した。
世宗大王の代に測雨器を発明して以後、降雨量をはかる制度は100余年の間よく施行されたが、壬辰倭乱(慶長の役)で社会の混乱と測雨器の遺失などで降雨量測定は行えなくなった。このような時期は1世紀半以上も続き、朝鮮の文芸部興起である英祖の時に至ってから再び体系化された。
1770年(英祖46年)5月に世宗時の記録に忠実に青銅で測雨器を再び作ったが、現在気象庁に保存されているものまさしくこれだ。このようなわけで測雨器による降雨量の測定制度はまた全国的に施行され、その後現在に至るまで240余年の連続的な降雨量観測記録を持っており、これは全世界で一番長い貴重な資料であるということだ。
このような測雨器遺物は現在、忠清道の広州で使われた錦営測雨器(1837年)を除きすべて遺失し、測雨器を乗せる測雨台も5個しか残っていない。世界の科学文化遺産で朝鮮の画期的な発明品である測雨器は1639年イタリアのB.カステリが発明した測雨器より約200年も先に進んだもので、降雨量をはかる科学的な方法が世界どの地域でもまだ芽ぐまなかった時期に、ご先祖は測雨器を作ってこれを全国の官庁に設置し、朝鮮の雨量統計測定体系を確立したのだ。
ユン・ヨンヒョン国立中央科学館学芸研究官
>今年の目標は3000億ウォン程度に設定した。それでもまだ初歩水準だ。それでは気象産業を育成するにはどうすべきか。