大韓帝国時代の火縄銃、在日同胞が博物館に寄贈
【ソウル4日聯合ニュース】国立中央博物館は4日、日本・茨城県水戸市の在日同胞事業家、イ・ソクジョ(日本名:木本敏夫)さんが火縄銃(138センチ)1点を寄贈したと明らかにした。
この銃は製作時期が大韓帝国(1897~1910年)時代と初めて確定された火縄銃だ。博物館側の説明によると、1901年に江華島兵器庫に格納されていたことを示す墨書銘文とともに、大韓帝国皇室の紋章が入っている。また、保存状態が非常に良好で、鉄製部分の銃身に黄銅で「武」と刻まれているなど、ほかの火縄銃では見られない重要な特徴もあると付け加えた。
木製部分の銃身には「辛丑改備江華庫蔵(辛丑年に江華の兵器庫に改修し、格納した)」と書かれた墨書が確認された。この銘文は1900年、江華に編制された大韓帝国の鎮威第1連隊の存在を示唆する重要な資料だと博物館は説明した。
寄贈者のイさんは、日本で昨年9月に同銃を購入し、東京の駐日韓国文化院を通じて国立博物館に寄贈した。イさんは「普段から韓日の歴史と文化に関心が高かった。知人を通じ、この火縄銃の存在を知り、一日も早く韓国に返還したいと考えていた」と明らかにした。また、現在は日本国籍を取得しているが、祖国の韓国に文化財を返還できてうれしいと感想を述べた。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2010/03/05/0200000000AJP20100305000700882.HTML
この記事を読んでいて、すご~~~く気になることがある。
>この銃は製作時期が大韓帝国(1897~1910年)時代と初めて確定された火縄銃
1900年代の火縄銃?
火縄銃の日本伝来は、1543年種子島だよな。江戸時代の鎖国のおかげで、日本の銃は江戸時代はそれほど進化しなっかたんだよな。その代わり装飾なんかには凝ったらしいけど。
しかし幕末になって西国諸藩は、火縄銃は時代遅れだと認識して、最新の西洋銃を導入していたよな。長州藩では、大村益次郎の肝いりでミニェー銃を第二次長州征伐では使ってたし。
戊辰戦争時は、長岡藩ではガトリング砲(機関銃)とか持ってたし、佐賀鍋島藩が最新式のアームストロング砲を作ってたぞ。
しかも、維新後1870年代、陸軍はスナイドル銃(元込め式ライフル銃)を使っていたし、1880年には国産の村田銃を使い始めたよな。
この村田銃はかなり有名で、日清戦争(1894年)でも大活躍してたな。
さて、今回の火縄銃は、日清戦争後のことだよな。
>木製部分の銃身には「辛丑改備江華庫蔵(辛丑年に江華の兵器庫に改修し、格納した)」と書かれた墨書が確認された。この銘文は1900年、江華に編制された大韓帝国の鎮威第1連隊の存在を示唆する重要な資料だと博物館は説明した。
つまり、1900年に大韓帝国軍が兵器庫の格納したということだから、その時代に大韓帝国は火縄銃を使用していたのか!?
この時代は、銃の進歩が目覚しかったから、欧米各国は新式銃が開発されると、後進国へ旧式銃を売りつけていたことは有名な話だ。
日本も大韓帝国に火縄銃を売りつけたのかもしれないな。
しかし、自称ロケット起源国であるはずの朝鮮人が、そんなことも知らないとは思えないがwww