↑野江駅を発車する2216Fの普通。いつもと違うのは行き先表示がない、ひらかた大菊人形の副標識、折り返しに備えて添乗員が乗務。全て1992年11月1日。野江。

京橋~天満橋間が通行止めとなった。京阪電車にとっては痛い区間である。不発弾の処理というから仕方がない。
しかし、可能な限り運転はするという。淀屋橋~天満橋はどうなっていたか知らないが、複々線区間は野江駅で様子を見た。
外側線は京橋発着?で普通が運転された。
内側線は逆走となり、下り内側線は上り出町柳ゆき急行が、上り内側線は下りの京橋への普通の送り込み回送がそれぞれ添乗員を乗せて走行した。逆走となるから、当時としては珍しいヘッドライト点灯である。

    ↑京橋?から折り返してきた2216Fが出町柳ゆき急行で下り内側線を走行する。

京橋での折り返しの関係からだろうか?
下り普通は急行編成がたぶん守口市かそれ以前に普通に変更されての運転のようだ。したがって、ひらかた大菊人形の副標識を付けたままである。
そして、そのまま折り返し急行となって下り内側線を通過してゆく。
上りの普通も折り返し線の影響だろう、上り内側線を回送してきた車両が京橋で折り返して使用された。

    ↑上り内側線を使って送り込まれる上り普通用の5000系。こちらにも信号関係?の添乗員が乗務。

    ↑上り外側線は守口市ゆきの普通が運転された。

この変則運転に偶然にも2216Fが入っていた。
8連化され、さらに通しの急行にも活用され改修工事を終えた姿である。
特急の運転はなく、急行は野江では出町柳ゆきのみ、普通は下りが急行編成の京橋?ゆき、上りが京橋発?の守口市ゆきの3系統のみの文字どおりの変則運転であった。