↑四条通りを横断する3000系淀屋橋ゆき特急。1975年8月。

電車のお通りである。
南北二ヶ所の詰所から踏切警手が赤い旗を持って現れる。
北側詰所の主任?が緑の機器の蓋を明け、赤信号に切り替え、踏切ベルを鳴らす。4人の警手が歩道の歩行者を赤い旗でストップさせる。
幅の広い四条通りであるが、遮断機はない。市電がクロスしていた名残りだろう。晩年は緞帳式?の遮断機が設置されたが。
このシンプルな踏切を7両編成の電車が、いつもの事ですからと悠然と渡ってゆく。
警手のトイレは南寄りの疏水辺りにあった。


    ↑南東角から三条ゆきの700系を。画面右側の北東の詰所で踏切の操作が行われる。1900系の補助椅子が転用されていた。

踏切の操作をスイッチで担当するのが主任の仕事。
電車が到着し客扱いを終え、運転士がスタンバイする。その絶妙なタイミングで踏切を遮断して電車をスムーズに発進させる。乗務員とも息の合った流れるような作業が職人技とも言える。
京阪本線であるから列車本数も多い。
しかも、たいていは四条で交換する。データイムは特急と急行、普通同士である。踏切の遮断時間を短くするには、上下の列車が同時に発車し渡り終えるのが理想的だ。
実際にはタイミングがずれることのほうが多い。
中にはどちらかを待たしても同時に渡し終えようとする主任もいる。個性であろう。
待たされる運転士にとっては相性が合わないことになる。特に行楽シーズンの夕方、遅れの三条ゆき臨時急行が待たされた。三条での折り返し時分が切迫しているのであろう。
待たされた運転士が警笛を鳴らすシーンもあったのである。
昭和の京阪電車はどこか人間味が溢れていたように思う。