↑両端クハ111のH01編成も下関の多彩さの象徴。全て2012年7~8月撮影。

福知山色の113系が京都にやってきた。旅行ではなく転校である。福知山色の制服のまま。
C19編成と嵯峨野線用の続番になっていた。しかし草津線で限定して使われた。高速化がこの編成だけされなかった。
その後、湘南色になった。WAU102冷改の同色モハは新鮮であった。
阪神淡路大震災の復興では嵯峨野線に回り(草津線は117系代走)、赤帯113系と机を並べた。

    ↑晩年のH01編成。クハ111-811、モハ115-1100、モハ114-1172、クハ111-812に組成された。

京都で学んだ後は下関に進学した。先輩のH01編成を引き継いだ。
オール113系であることから岩国までの運用で暫定で使用されるのかと思われたが、この編成は見こまれたようでここでも長く過ごすことに。

クハ111-800番台は寒地用に改造されていて、客用扉に半自動対応の取っ手が付く。115系のものとは形状が異なる。


下関の瀬戸内色の制服が与えられた。
チクビームに改造。
モハが115系0番台に。
モハが115系6000番台→1000番台に。このころ制御機器が改造されC.G編成と共にロングラン開始。

そんなわけで盛夏の広島からの糸崎ゆきはこの編成に当たる。
クハはアーバン時代に延命N工事を受けているので明るい内装。当時はワイン色のシートであったが。

天井からはWAU102分散型クーラーから冷風が。関西では冷風車と呼ばれていた。扇風機も併用され、これが案外と冷房効果を高めてくれる。
大きめの窓の貫通扉など車内は懐かしさがある。
「転校生」の聖地、尾道の手前の糸崎で終着した。歌謡曲の通り、瀬戸は日暮れてきた。



*参考
「JR電車編成表」各号