↑個性的な車両が集まった下関のG-02編成。2008年10月。

長距離の運用が目立った下関の115系。当時は岡山方面へも顔を見せていた。
予備的な編成も必要になってくる。かつては湘南色の非冷房編成も待機していたし、アーバンエリアから113系が借り入れられたりもしていた。
そうした流れからアーバンエリア、岡山、広島から経年車両が集まってくる。
セノハチも受け持つから115系が好ましいが、113系も受け入れる。様々な経歴を持った車両が手を組んで編成となる。

G編成3本もその典型例である。
その顔ぶれも変化を遂げてきたが、晩年は岡山方にクハ111を組み入れた混成であった。

     ↑G02編成の岡山方の先頭はクハ111-139である。モハ115.114-320、クハ115-622の4連。

当初は岩国~下関で運用されていたようだが、クハ111の制御機器などが115系に合わせるように改造され、C編成などと共通でセノハチも上下できるようになった。これが山陽地区で長く活躍できる条件のひとつである。
そのクハ111-139。G01編成の268と共に奈良の赤帯113系の残党である。

本来であれば、山陰本線園部以北電化対応の改造タネ車(先頭部)になるところだった。宮原の6300台モハにお顔をくっ付けてワンマン対応の2連ユニットに。
しかし、3本は福知山色の800番台を転用改造することに変更されたようだ。
そのため赤帯車のまま残存し、福知山線103系の代走で6連1本に組み替えられていた所に阪神淡路大震災。そのまま復旧輸送に駆り出された。
その後は本線貸し出し車の補充として嵯峨野線に転線、4連2本として活躍した。その先頭車がこのG編成の2両である。

震災当時は113.115系は一両でも無駄に出来ない。嵯峨野線運用終了後はTc’は800番台福知山色化されたが、それ以外は湘南色化岡山に貸し出され下関方に非冷房クハ115を組み入れP編成となって活躍した。
さらにモハユニットを115系に交換。広島に転じた。クハ111-139にはモハ115.114-320が付きG02編成が形成されてゆく。当時は呉線~岩国での活躍であったそうだ。

その後、G01編成と共に下関に落ち着き、岡山から逃れてきたクハ115-622と組成して晩年を過ごした。
モハ115.114-320は元は小山から転入の下関車。岡山の非冷房編成を置き換えるため広島を経由して転出したのであるが、クハをK編成に提供、その後の震災復興の車両需給に奔走したあと広島→下関と舞い戻ってきた形となった。
クハ115-622も張り上げ屋根化などで手を加えられたのが廃車を免れた要因かもしれない。アーバン時代は阪和色クハ111の日根野車であった。

いろいろな要因が重なり合って手を組んだ個性的な編成。それぞれの歩みは人生のそれにも通じるようだ。