ひと昔前の115系下関車。あの頃に戻ってみたいという気がする。
4連組成の115系はN編成の他にC.O.G.Hの編成がありバラエティー豊かな外観で活躍していた。N編成とは別運用であったが、こちらも平均日車キロが500キロを優に越えていて、経年の高い先頭車も多く含まれていた。

       ↑広セキC21編成に組み入れられたクハ115-192。0番台の経年車両であるが大きな更新工事は受けておらず、他車が体質改善化されたのに合わせて塗色のみがそれに合わせられている。2012年8月。

国鉄時代の新性能電車は4M2Tが基本であったから、ひろしまシティー電車の発想でそれを4連にすればどうしても先頭車が多く必要になる。経年車が長く活躍することになり、中間車の先頭車化も少なからず存在する。
そうした初期の個性豊かな先頭車がこのグループには多いのである。

クハ115-192はオリジナル0番台の残党である。原型の大型ライトであったが、近年のシールドビーム化では大型の枠を生かされたものが多い。JR東日本車とは少し異なり凸型の形状だ。「チクビーム」と俗称で呼ばれたりもした。
AU75で冷房改造されているが、車内はボックスシートのまま、大きな手は加えられていない。その使用感から「ボロクハ」とも揶揄されていた。更新色を纏っているから余計に。

しかし、本当にボロなのだろうか?
ボロなら手が加えられるはずである。つまり窓枠などが劣化しにくい構造なのかもしれない。103系の非ユニット窓車でもそんな印象を受けた。

    ↑広セキC14編成に組み入れられたクハ115-219。40N車に似た屋根回りになっているが…。2012年8月。

下関車のC14編成のクハ115-219。
こちらも0番台のオリジナルのクハである。岡山時代に編成の他の車両が体質改善化された際に外観を合わせるように張り上げ屋根に改造されたようだ。しかし、窓回りは変化がない。車内もそうで、果たして体質改善なのだろうか?
実際のところあまりよく解らないのであるが、非体質改善でいいと思われる。
622と共に珍車であることは確かだ。