塗色といえば広島、下関での広島新快速色も体質改善が完了するまで3000.3500番台のN編成を中心に見られた。一部3扉車も有り。

当時の広島、下関車の特徴のひとつとして長距離運用が挙げられる。岡山の下りホームでは徳山、新山口、下関ゆきの115系が、かつての長距離鈍行の風情で発車待ちをしていたのである。

    ↑岡山で発車を待つ新快速色のセキN06編成の新山口ゆき。2004年10月。

鈍行といっても一部区間、快速となるものが多い。西条~岩国間でシティーライナーと名付けられていた。その運用に主に充当されるのが、新快速色を纏ったN編成であった。

    ↑↓N06編成の中間モハユニット。西条 岩国 快速の表示が見える。1ユニット運転に備えてパンタ2基を装備するなど、ひろしまシティー電車の発想が外観からも解る。

この長距離運用、岡山でも手軽に下関車を撮影できるメリットがあったが、さすがにN編成は岩国までとなったようだ。復刻瀬戸内色は遠い存在である。
その後の下関車の岡山乗り入れも、広島から113系が岡山に補充され代替されたようだ。

この新快速色、あらたに元117系の3500番台モハが加わり3扉車は抜かれたようだ。
しかし、モハが2ユニット不足するようで2005年2月には瀬戸内色2000番台を組み入れた混色編成が見られた。

    ↑セキC20編成。3013.2020.2020.3113。

*参考「JR電車編成表」交通新聞社2005年夏号