色づきを終えた葉が音もなく落ちてゆく。白煙が所々立ち上がっている。
車窓の紀の川はわずかに流れているのだろうか。ためらうような流れに薄雲を写して。

和歌山線は晩秋のたたずまいがよく似合う。少し前の105系が走っていた頃。
電車だけがけたたましく音をたてている。レールが短いこともあるが、今となってはあちこちが古い造り。エスカルゴのような扇風機が横を向いているのも昭和的。
関東の人には見覚えがあるはず。常磐線の快速でブンブン走っていた。2両でも走れるように改造されたが、まるで固定電話のような存在感を示している。
電車が行き違う駅は古い駅舎が残っていたりして、駅前の佇まいも落ち着き払っている。

名手で下車してみた。
大和街道沿いに「旧名手宿本陣」が残っていた。藩主にも利用されてきた。母屋に入ってみる。天井の屋根が高いな、と感じた。
その効果は、夏が涼しい。藩主といえば重装備の印象。かつての「コックローチS」のCMのような軽装で行進してくるとは思えない。涼しい、は最高のもてなしになる。
さらにその天井には10センチほど土が入れられているという。土天井といい、これでさらに涼しくなるのだそうだ。

秋の日は駆け足で去ってゆく。
岩出に移動し、紀の川の堤防に立つ。子供を連れた人か、犬を連れた人かどちらかの人とすれ違う。
坦々とした日常。そういえば亡くなった北の湖理事長も横綱時代は坦々と白星を重ねる人であった。

勝って当たり前で、あまり人気はなかった。これでは盛り上がらないのでは?と思われるかもしれない。
しかし、違うのである。絶対的な横綱がいて、ごくたまに負ける時がある。番狂わせである。座布団が舞う。めったにない事だから観客は大騒ぎになる。この瞬間こそが醍醐味なのだ。
そのためには絶対的に強い横綱でなければならない。金星連発では値打ちが下がってしまう。
横綱北の湖関。どうすれば観客が喜ぶかを知り尽くした人であった。そのためには自分は嫌われ役になる。自分を犠牲にしてでも、他人、相撲界のことを考えていた人である。

紀の川の夕暮れ。夕日は半分雲間に隠れ、おぼろげに消えていった。坦々と去ってゆく故人の後ろ姿のように。