山科付近で地下鉄東西線に乗り入れる京阪京津線800系↑↓


京阪京津線の大谷駅は、ホームのベンチの脚の長さも勾配に合わせて調整されていた。蝉丸神社の有名な句のある逢坂山越えの途中駅である。
ここを走る電車は大津市内の路面区間も走れば、逢坂山の坂も上下する器用な電車。まさに二刀流である。
ここの大谷駅から、JR和歌山線の大谷駅まで行ってしまおう。2016年11月。

人影のない大谷駅に4両編成の電車が到着。かつての2両連結の吊り掛け準急の時は着席が困難であったが、今は余裕。4両というより京都市営地下鉄に乗り入れる線形になったため御陵からはかつてのような運賃体系でなくなったからだろう。しかし、運行体系は地下鉄でスムーズになり、かつてのようは警笛を何度も鳴らすことはない。

       ↑↓なんば~高野山極楽橋直通の急行系には旧車のズームカーの後継として2000系が開発された。


大阪から橋本へは南海高野線の急行電車を利用した。
以前は湘南スタイルが人気の丸ズーム21000系、2両単位で増結にも使用された角ズーム22000系が活躍いていた高野山極楽橋直通急行。
平坦区間を高速に、橋本以南の山岳勾配区間にも走れるこちらも二刀流でズームカーと呼ばれる。
その後継車として生まれた2000系。4連、2連が用意され、17m2扉も先代から受け継がれた。
しかし、山岳部の需要に変化が現れた。橋本まで20m4扉車が乗り入れる一方で、それ以南の山間部は2両ワンマン運転が可能な2300系に押され気味。
2000系は余剰気味になったのだ。南海本線普通に転用された編成も。さらには、予想通り支線の2200系の置き換えにも活用されるようだ。

そういう訳で2000系も先代のようにはいかないようだ。橋本駅前には大谷薬局があった。

      ↑橋本~高野山極楽橋間の各停に4連で活躍していた2000系

橋本からはJR和歌山線の105系でブンブン走る。常磐線快速からFA宣言でこちらにやって来た。1Mで走れるように変更されているが。

晩秋の佇まいの大谷駅に独り降り立つ。人よりも柑橘類が目立つ。猫も多い。
坂道を上り詰めてゆくと紀の川の全景が広がった。確かに大きな谷だ。
あちこちで白煙が立ち上がり、それが山裾にたなびいている。秋の夕暮れ、寺の鐘が鳴り響いた。