江若バスの堅田駅前から葛川細川へ行く便は一日二本である。朝と昼過ぎだけ。平日は夕方になる。
山奥な感じだ。比良山地の西側の旧鯖街道沿いの谷間にある。マイナーな地名であるが、かつてのボンネットバスの終点として懐かしい。
江若バスでは昭和50年代半ばまでボンネットバスを一般の乗合で使っていた。全国でも最後だったと思う。
その後、ボンネットバスはあちこちで復活しているが、SLに例えれば室蘭本線のC57の牽く旅客列車と考えればいいようだ。

その細川を午後の便で再訪しようと思う。おそらく中型車が来ると思っていたら、大型のノンステップ車であった。あの当時の難渋を知っているから、道路が良くなったとしか思えない。しかし、乗客は数人であった。


~ボンネットバス回想~

当時のボンネットバスもだいたい同じ時間に駅前に現れた。堅田の町内を循環してきたので先客がいる。小回りが効くので狭い町内でも使えるようだ。買い物帰りの客などで満員発車!
エンジン音もさることながら、振動が凄い。知人に聞くと、ボンネットバスは登坂能力は優れているのだという。確かにグイグイ登ってゆく。
三叉路の「途中」というバス停を過ぎると、いよいよ花折峠のヘアピンだ。停止線があり、一旦停止。ブレーキの確認だろうか?

登山バスのような眺望が開け、その先に花折トンネルが口を開けていた。個人的にはこのトンネル苦手である。
このトンネルの北側出口を出た所が右に急カーブになっている。どうしてもトンネル出口手前でブレーキをかけたくなってしまう。
ここに魔物が口を開けているのだ。
その部分のトンネル路面が水溜まりになっていることがあり、冬場は凍結していることも。二輪ならハンドルを取られて転倒しかねない。
実際に死亡事故はあったのだろう。雨の日の夕方、ここを通った時にトンネル壁面に白い顔が浮かび上がったのである。

そのトンネルを出た所が「平」のバス停で、そこそこ空いた。ここからは渓流に沿った細い道をくねくねとゆく。かつての鯖街道でもあり、民家はどっしりとした造りであった。
対向車のすれ違いで難渋する時は、車掌が誘導したりした。
前方に車庫が見え、そこが終点の細川。清流が流れているだけの谷間の集落であった。




堅田ゆきは、車掌の誘導でバックして発進。帰りは登山客とその荷物ですし詰めの混雑となった。

~そして今~

車両がノンステになり快適になると反比例してバスが空くという妙なジンクスを感じながら、バスは快調に登ってゆく。手慣れた感じの運転である。
花折トンネルも難なく過ぎ、ここから先の国道も片側一車線づつに完備されていた。さくさくすれ違う。
坊村でひとり降り、運転手と二人きりに。車窓が良く見えるタイヤハウスの上の席に座っているので、二人羽織をしているかのようだ。
そして、見覚えのある終点、葛川細川。車庫は更地になっていて、バスはその先の細川バス停で回転するようだ。ここから安曇川駅までの系統も用意されている。
清流も石垣も昔と変わらない。鯖寿司の店が出来ていて、軽がひっきりなしに通る。二輪はあまり見かけない。
堅田ゆきの最終を逃さないように、緊張感を持って葛川細川のバス停に戻った。