↑千里線普通で梅田を目指す2812F。千里山。1992年4月。

2800系のファンは多い。2枚看板で疾走する阪急顔には惹かれるものがある。その特急時代は意外に短く、3扉化され余生を送ることになった。
千里線普通での活躍もそのひとつである。前面が表示幕化されなかったこともあって、最後まで標識板を掲げての運行となった。千里線のグリーンの板がよく似合っていたのである。

     ↑↓桜満開の千里山に入線。2800系の余生もその花弁に似て儚いものであった。1992年4月。



千里線といえば万博会場の近くを走る。今は万博記念公園となって、家族連れなどに静かな時間を提供している。
あの頃は京都線を全力で駆けていた。正に特急電車であった。その熱気に満ちた日々を肌に感じているのだろうか?そこを通る時に。
2811Fと2815Fが4連になって嵐山線で最後を迎えた。2812Fは最後まで7連で通したようだ。
千里線が好きだったのかもしれない。

    ↑空気バネ台車主体の2814Fも嵐山線へは行かずに終焉を迎えた。中津。1992年4月。