↑園部を発車し、以北のワンマン運転を行っていた当時の113系S9編成。旧スカートの時代。2008年6月。

リバイバル塗色は福知山の113系S9編成にも波及した。S9編成だから↑の園部以北ワンマン色かな?と思っていたら、福知山線電化当時のものだという。
そのS9編成の活躍を振り返ってみたい。

    ↑↓S9編成の横顔。宮原モハ300番台からの改造組でユニット窓。ワンマン運転に備えて前扉が移設されている。  このS9編成とS4.33編成がWパンタ仕様である。2008年6月。


園部以北ワンマン編成は2連×9本が用意された。湘南色にクリーム色の帯が追加された。
宮原の6300台モハを300番台に、それに奈良の赤帯113系の顔を取り付けた改造車である。改造は6ユニットにとどまり、S2.3.4.5.7.9編成となり、福知山の800番台McMc'の3本をワンマン対応にしたS33.77.99編成を加えた。
後に応荷重装置の取り付けで+5000番台となっている。

     
当初の計画では奈良の赤帯113系4連×9本を解除し、その赤帯モハは宮原に転属させ、差し替えて300番台モハを捻出させ、これに赤帯クハの前面を取り付けて2連ユニットにする計画だったようだ。
300番台モハの番号の若い順番にS編成の編成番号が付けられたようだが、その途中で変更が生じたようだ。

宮原モハ300番台は次のようになったものと予想される。
323→網干転属5323に
329→S2
330→S3
331→S4
332→S5
6333→宮原残存
335→S7
6336→宮原残存
337→S9
6338→宮原残存

1994年度から改造準備され、綾部~福知山間の先行電化開業には早期落成車が充当された。
それに前後して1995年の阪神淡路大震災である。その復旧復興輸送は車両需給がひっ迫した。
急遽増発された新快速の車両を補うため近郊型車両は一両でも無駄に出来ない状況となった。
園部~綾部間の電化を前に改造出場したS編成にも白羽の矢が立った。
アーバンエリアへの車両貸し出しで非冷房115系をフルに稼働させていた岡山への貸し出しである。
2連ユニットを2本併結し、4連2本が用意された。これに当該の309ユニットも加わったのである。
P01編成 309+303ユニット
P02編成 307+304ユニット

運用は115系K3編成を加えた3本で限定運用が組まれた。注目すべきは1428Mでの併結運用である。
つまり3日に一回、P-Pの併結8連となる。前代未聞と思われる8Mでの営業運転である。

    ↑309ユニットを先頭にユニット4重連、8Mの轟音を響かせて船坂峠を越えてきた1428M。1995年9月。上郡~三石。

4基のパンタが上がっておりモーター音からもユニットカットはしていない模様。
渾身の力走であったが、園部以北電化開業を控え、旧赤帯車の生き残り等を集めたP03編成~に後を託し、福知山へ戻っていったのである。

1996年3月16日の園部~綾部間電化開業に合わせ、キト113系C編成との併結で京都にも乗り入れを開始したS編成。
とりわけ昼間にも京都~園部間を併結する運用では冬季はWパンタ車両の運用となり、S9編成もその精悍なスタイルで活躍した。
しかし、京都車の221系化に合わせて2010年3月改正の前日に223系に後を託し京都からは静かに去っていったのである。

     ↑↓最終日の京都乗り入れもS9編成がキトC10編成と併結で先頭に立った。2010年3月。

しかし、リバイバル塗色という熱い視線を集めることになったS9編成。今度は静かに、とはならないだろう。