↑一般運用が始まり出町柳ゆき準急で京都方面を目指す2216F。2024年7月。

京都方面へも定番の準急で顔見せである。
データイムでは特急と準急の2本立てを基本とするダイヤが定着して久しい。

     ↑丹波橋、三条で上下の特急と準急が緩急結合するのが京都方のお馴染みのパターン。2024年7月。

しかし、もともとは準急は京都方では馴染みの薄い存在であった。
原色であるから昔の話になってしまうが。
データイムは15分ヘッドで特急、急行、普通、宇治線直通普通が運転されるのが昭和の時代には定着していた。
特急の停車駅が増えた。快適なシートの特急車に中間駅からも利用が可能になった。中書島にも停まるから宇治線アクセスも便利だ。10分ヘッドにして実質普通の準急と特急を組み合わせて急行の代替をした。阪急京都本線も同じような感じである。
準急の速達区間となる大阪方は短距離の普通に接続してカバーする。
10分ヘッドは崩れてきたが、おおむねそんな感じだ。

準急は以前は大阪方での運転が中心だった。宇治急の代替に樟葉まで運転された時期もあるが、通しの準急となると、朝のラッシュ時に運転されていた記憶がある。


     ↑↓早朝の四条下りホームに到着した三条発の淀屋橋ゆき準急。新鋭の通勤車2400系を配車し大阪近郊のラッシュに備える。1976年1月。


三条発では5時56発から20分ヘッドで7時36分発まで6本が運転されている。急行の1~2分後の続行となる。*参考「鉄道ファン202号 特集:私鉄のターミナル」~1977年7月24日改正。
急行が700系、600系とツリカケ車が配車されるなかにあって、新鋭の格上通勤車2400系が投入されているのが興味深い。急行の続行とはいえ、停車駅が多く性能を生かして後続の急行を振りきらなければならない。

時代は流れた。
準急は実質普通として終日見られるようになり、あの当時のエース5000系はいなくなったものの2200、2400系が働き続けているのはあの時代の常識からすれば驚異的とも言えるだろう。

     ↑↓昼夜を問わず準急での活躍が続く2200系。2024年7月。