慶誾尼(龍造寺隆信の母)1509~1600
龍造寺16代当主・胤和の長女として生まれ、分家の周家に嫁ぎ隆信を生む。
隆信18才の時、本家一族が謀略により殺害され、隆信が当主となる。
未亡人となった彼女は尼となり慶誾尼(けいぎんに)と名乗った。
分家出身の分際で当主となった隆信をこころよくなく思う家臣は多く、
彼女はひたすら隆信を補佐した。
隆信に優秀な補佐を付けたいと考えた彼女は、鍋島直茂(17才)に目を付けた。
そして1556年に計画を行動に移す。
直茂の父清房(男やもめ)に新しい妻を紹介するから娶れとせまった。
しぶる清房を説き伏せ日取りまで決めてしまった。
さて輿入れ当日、期待に心ときめかせる清房の屋敷に輿が到着した。
なんと! 中から出てきたのは慶誾尼本人だったのだ。
清房は必死で辞退するが、強引にそのまま夫人に収まってしまった。
主家の未亡人と年下の家臣という常識破りの夫婦の誕生である。
直茂と隆信は兄弟ということになり、当然家中での発言力も重きを増す。
彼女の思惑は成功し、直茂はその後龍造寺を支えて行く。
隆信が、沖田畷で戦死した後、
直茂を当主に指名し、家督を鍋島家に譲るという裁断を下したのも彼女である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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