加藤清正の家士である飯田覚兵衛(直景)は、初めは六石だった。
その後、二千石になって部将となる。
さらにその後、覚兵衛は清正の命に背くことがあって浪人し、
伏見に退居して草鞋や馬踏などを作って生計とした。
福島正則は、以前から覚兵衛の武勇を知っていたので、
四千石で彼を招くも、覚兵衛は正則に仕えなかった。
その後、たびたび正則方から使いが来た時、覚兵衛は答えて、
「それがしは清正の不興を蒙り、このように浪士の身となりましたが、
二君に仕える心はありません。
今にも清正が出陣するような時には、
一番に馳せて付き従い、清正の馬前で討死いたす覚悟です。」
と、言った。
正則はこれを聞いて深く心を動かされ、さっそく清正に、
その事を語ったので、清正はやがて覚兵衛を呼び戻して、
元の通りに二千石を与えた。
覚兵衛は、その後、たびたびの武功によって六千石にまでなった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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