その年も薩摩は台風に見舞われた。
義弘の屋敷も無事では済まず、庭は荒れ放題、屋根も壁も惨憺たる有様だった。
そこへあいつがやってきた。
その名を中馬大蔵重方。
「船に乗り遅れたから走っていくばい!」
と関ヶ原まで文字通りに駆けつけたり、
その途中、
「スマン、後で返すから!」
と叫んで他人の鎧をぶん取ってみたり、
退却戦では、
「おいどんが倒れたら殿の一大事ですたい!」
と義弘の食事を横から頂戴したり。
その中馬が屋敷を訪れたとき、
大工や庭師は岩のような庭石を元の場所に戻そうと奮闘しており、
義弘は庭の縁側で、
「頑張れ、頑張れ!」
と督励している真っ最中だった。
実のところ義弘、屋根の雨漏りや垣根さえ直してもらえばよかったのだが、
庭師や大工達が、
「いや、こうなったら隅々まで治させてください!」
というので彼らに任せていた。
だがさすがに大きな庭石は数人掛りでも動かせず苦労する破目に。
その一方で義弘も、
「庭師達にも意地があるだろうし、ここで俺が手伝ったら面目丸つぶれだよなぁ。」
と督励するにとどめていたのである。
だがそんな義弘の心遣いも天然の一言が木っ端微塵にする。
「おいおい、そんな石ころ一つに何を手間取っておるのだ。
どれ、それがしが動かして進ぜよう。」
言うが早いか庭師たちを押しのけ、庭石を軽々と元の位置に戻してまった。
呆然とする庭師たち、あちゃーと頭を抱える義弘を意に介さず天然は追い討ちをかける。
「ささ、殿もこれへ! こんなもの日が暮れる前に、片付けてしまいましょうぞ!」
結局、大勢の庭師や大工でも片付けられなかった多くの庭石は、
「鬼島津」島津義弘と「五人力」中馬大蔵の二人で全て片付けられてしまった。
義弘は中馬の昔と変わらぬ働き振りを褒めるとともに、
「殿やご家中の方の手間で煩わせては…。」
と褒美を固辞する庭師たちを存分にねぎらって帰らせた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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