凶會(くえ)日☆ | げむおた街道をゆく

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薩摩領内で発生した庄内の乱は、伊集院方が12の城に立て籠もったために、
島津の将兵を多数動員せねばならない事態に陥っていた。
 

無論、島津豊久もこれに出陣している。

戦いにあまり進展が見えぬ或る日のこと。

豊久は軍議のために島津忠長の陣に入っていた。
評定が終わり、ふと陣幕の周辺を見渡してみると、

なんと高城から敵兵数十人が、
妻子を携えて城から出ていくではないか。

「さては城内の兵糧が尽きて都城に退く腹積もりか。」
好機である。
 

「誰ぞ、士卒を率いてあれを追い詰めよ!」
軍議で来ているため自前の兵のない豊久は、陣内の将兵に追撃を促した。
 

しかし、これに異を唱える者が一人、
「本日は凶會(くえ)日に御座いまれば、その儀はお止めになられた方が・・・。」
凶會(くえ)とは何かと、豊久が問えば、その者曰く、

「合戦に利無き日」

であるという。
 

君主である義久が事ある毎にクジを引いたり、

川田義朗らに戦の吉凶を占わせていることもあり、島津家は何かと縁起を重んじていた。
そのため凶會(くえ)日である本日の合戦は行えないというのである。

しかし豊久これに立腹。
「”くえ”日であるならば、敵を追いかけて”食え”や!」

その剣幕に将兵らは我先にと敵の跡を追いかけて行った。
これにより既に敵の先頭部は遥か先に逃げ延びてしまっていたが、

後方の者らを討ち取るにいたった。

「豊久様のお言葉は、勢を進むるに計ごと、時に取り手の金言である。」

と世の人々は、称賛したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 島津の退き口、島津豊久

 

 

 

ごきげんよう!