二十年以上にわたり続いた島津家の家督争いがようやく終結し、
島津貴久の鹿児島の内城入城から暫くたったある日のこと。
貴久の父・島津日新斎忠良は、貴久や家臣団にこう宣言した。
忠良、
「私、日新斎こと梅岳常潤在家菩薩は、無辺の大願を成就するため、
往生することに決めた。
○月×日に往生するから懃に供養してやって欲しい。
何、心配するな準備はもう完了しておるからな。以上。」
慌てた貴久や家臣団は再三にわたり忠良を説得し、何とか思い止まらせた。
忠良は往生を思い止まるかわりに家臣団に、忠良に対し島津家繁栄のために、
忠誠をつくすことを誓わせ、
記念に空の厨子を火葬し、供養の施行をした。
生きながら自分の葬式を行った島津忠良。
因みに本人はこの葬式から16年後、77歳で没した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!