堀尾吉晴は、主君・豊臣秀吉の命で、九戸城で反乱を起こした九戸政実の討伐戦に参加した。
この時、吉晴の役目は後方で軍勢の動きを監督する事だったのだが・・・。
「俺だって前線に出て武功を立てたい!
だが軍議に出席してしまうと、
立場上そこで決まった配置に従わなきゃならんし、
先陣争いも出来なくなる・・・。」
そこで吉晴は考えた。
「だったら軍議を仮病で欠席すればいいじゃないか!」と。
そしてその翌日には先陣に決まっていた蒲生氏郷に先んじて九戸城に出撃した。
迎え撃つ敵を次々と討ち取り、九戸軍を追い詰めた吉晴は、
「決死の覚悟をした者を攻めれば、味方の被害もばかにならんな・・・。」
と考え、
「本丸を明け渡せば命は助ける。」
と降伏を勧告した。
城兵がこの言葉を信じ本丸を明け渡すと、
「城は手に入った。お前らにもう用は無いわ!」
とばかりに全員処刑したという。
ちなみに、吉晴より処刑した兵の首を届けられた秀吉は、
「さすがは吉晴! お前こそ日本無双の剛の者よ!」
と吉晴を賞賛したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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