私の見立てに、狂いはなかった☆ | げむおた街道をゆく

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岐阜の役の時、堀尾吉晴の子・忠氏は戦功を立てた。
 

吉晴はこの日の勝利の報告を聞き、首帳を見たところ、
「首一つ、十五歳、山田多門兵衛」

とあるのを読みも終わらず、

「近頃まで竹馬に乗っていた童がもう功名を立てたかぁ。
父親が存命ならどれほど喜んだことであろうか…。」

と涙を流した。

また、

「梯子権八の功名が記されていないのは何故だ。
討死したならともかく、功名については上から三番目以内に入っているはずの者なのに。」

と怪しんだが、やがて飛脚がやって来て、

「権八は一番に続いて首を取りましたが、

手負いのために首帳に記すのが遅れました。」

と告げたので、

「私の見立てに、狂いはなかった。」

と言ったということだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 仏の茂助、堀尾吉晴

 

 

 

ごきげんよう!