その幼名を、仁王丸といい☆ | げむおた街道をゆく

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堀尾吉晴は、その幼名を仁王丸といい、彼の家は尾張国内で信長に長く抵抗した、

岩倉織田氏の家臣であった。

さて永禄2年(1559)の事、岩倉と織田信長勢との戦いで、

岩倉勢は夜討ちを敢行した。

この時、未だ元服も済んでいない堀尾仁王丸はまっさきに駆け込んで、

名のあるものの首を取って帰る、という功名をなした。

だが人々、元服も未だの若い仁王丸がそんな手柄を立てられるとは思えず、
「拾い首でもしたのだろう。」

と、彼の手柄をまるで信じなかった。

そして翌日、今度は岩倉勢が敵に散々に打ち負け総退却となった。
 

ところがこの中で仁王丸は一人馬から降りて敵のほうに立ち向かった。
仁王丸の叔父の修理亮がこれを見つけ大いに驚き、彼に向かって叫んだ。

「どうして味方に遅れるのか! とにかく直ぐに撤退するんだ!」

ところがこれに、仁王丸、

「若党の一人である山田が未だにこちらに帰ってきません! 彼を探します!」

と答え、遂に敵中に残されていた山田を見つけ、連れて帰った。

この仁王丸の勇敢な行為に、

「さては昨晩の功名も本当であったか!」

と、岩倉の人々、自分たちの不明を恥じたという。

堀尾仁王丸、明年の夏に元服し”茂助”を名乗る。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 仏の茂助、堀尾吉晴

 

 

 

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