天正の末、参州水野和泉守の嫡男・水野六左衛門は、
太閤秀吉公の扈従であったが、相撲の諍いによって傍輩を殺して出奔した。
秀吉公、大いに怒って、諸国を尋ね求めてこれを殺さんとした。
六左衛門は勇敢身に備えたる人であったので、
九州へ下向し、姓名を改め、所々の戦闘に参加し功があった。
名が既に顕れたので、ここも逃げ去り、糧食も尽き、身も塞がってしまったので、
漢の韓信が釣りを垂れる苦しみであった。
美作国へ往き、安藤という百姓の聟(むこ)となった。
しかし農作を勤めず、朝夕川に臨んで網釣を事とし、
山へ登って禽獣を狩ってばかりいた。
安藤、これを見て、
「汝は我跡を相続する者にあらず。」
と大いに怒り、追い出した。
恥辱と思ったのだろうか、刀を抜き、刺殺し、ここをも走り去り、三村紀伊守を頼った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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