さぞかし、私の事も☆ | げむおた街道をゆく

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細川幽斎・忠興父子により、丹後弓木城主である一色五郎(義定)が謀殺された後、
幽斎の娘であった、その内室は宮津へと帰った。

 

そこで一色五郎の討たれた終止を聞くと、
その最期の時を想い深く嘆いて過ごした。

 

彼女は、このように語った。
「過ぎし八日の卯の刻(午前6時ころ)、殿は私に向かってこう仰られました。

『今日は細川殿と対面する。

我が家と細川殿、互いの先祖は親しくして代々公方様へ仕えつつ、
ここかしこの戦において、互いに頼み頼まれ、力を合わせてきたと見える。

古い文なども今に残っている。

子孫の末となったが、昔を思えば懐かしく、またこのように親子の縁となった。
宿縁の浅からぬ不思議さよ。』

そうしていつもより丹念に、馬鞍をきれいに装わせて弓木を出発されました。
私が一色に嫁いでより、あのように賑々しい供人にて、

いづくの地へも出かけたことはありませんでしたから、

私もひとしお嬉しく、城の窓から一行を見送りました。
 

須津の浜道を過ぎ山路に差し掛かると、そのあたりを覆っていた朝霧も吹き払われ、

とても幽幻な姿に写りましたが、それもやがて松陰に見失い、供人も見えなくなり、

心の中にやるせない思いを成し、
そぞろに涙がこぼれそうになりましたが、忍んでそのような姿を人に見せませんでしたが、

なにやら不吉な気もして、盃を出させ、女房たちも慰めました。

それなのに、思いの外の事があって失せさせられた哀しさよ。
このような企てが有ったとは、夢にも知りませんでしたが、

御最後の時、さぞかし私の事も恨まれたでしょう。」

そう、明け暮れに嘆かれたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 丹後北半国を統治、一色満信

 

 

 

ごきげんよう!